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2015年9月13日 (日曜日)

会津若松城(福島県会津若松市)

日本百名城スタンプラリーの登城日記、山口県の【萩城】の次は、宿敵の福島県の【会津若松城】にしてみました。

私事ながら、2008年5月3・4日と2009年6月28日の2度、【会津若松城】に登城しております。

紹介する写真も両方の城郭遠征のものを混ぜ混ぜして掲載いたします。

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会津若松だけを観光するのならば、JR会津若松駅周辺のホテルに宿泊して拠点にすべきだと考えております。

が、福島県の北部の【二本松城】、南部の【白河小峰城】、西部の【会津若松城】を見学するのならば、この3つの百名城の中心にあるJR郡山駅周辺を拠点にした方が良いかと考えます。

ちなみにJR郡山駅からJR会津若松駅を経由して、【会津若松城】まで高速バスが走っております。(記憶によれば運賃は1000円少々、時間も1時間程でした。)

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葦名氏が築いた【東黒川館】が【会津若松城】の原型。

縄張りも写真の通り、中央の曲輪に東・北・西に馬出曲輪を設ける簡単なもの。

ちなみに上の写真は下が北側になります。

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JR会津若松駅からもバスが出ていますし、先述のJR郡山駅からの高速バスも、【会津若松城】の北出丸の北側に停車します。

早速、広い水濠と【北出丸】の石垣がお出迎えです。写真左手(東側)をグルリと『コ』の字を描くように廻って、【北出丸】の【追手門】から入っていきます。

幕末の会津戦争の折り、薩長軍はどこから侵入してよいかわからずに、この【北出丸】から鉄砲を撃たれまくったらしい。

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北出丸の東側に開く、【追手門跡】(写真奥)です。

手前の石垣は【大腰掛け】と呼ばれており、守城兵が鉄砲を構えて追手門を守っていたそうだ。

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【追手門】の石垣から見下ろした【大腰掛け】の写真。

【追手門】の手前に守備線があったということです。

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城郭のセオリー通りに、【北出丸】の内部に入るためには、ジグザクとクランク道を入っていかねばなりません。

上の写真は【北出丸】に入ってから、【追手門】側を振り返ったもの。

【北出丸】は別名【薨丸(みなころしまる)】と呼ばれており、侵入した敵兵は四方から攻撃されたそうだ。

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【北出丸】には【武徳殿】という武術道場がありますが、城めぐり日記ですので、パス。

【帯曲輪】に入ってゆきます。ちょっと坂道になっていますが、【椿坂】というらしい。

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故意に人を入れて撮影しましたが、流石は松平家の城郭、【太鼓門】の石垣の鏡石が大きい。

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【太鼓門】を通って振り返った写真。

もちろんクランク状にジグザグと侵入しなくてはなりません。

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【太鼓門】をくぐって、すぐに会津若松城の見どころの一つ、【武者走りの石段】です。

ここの石段を登って、先程の【椿坂】から【太鼓門】に攻めのぼってくる敵兵を狙撃していたに違いない。

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【帯曲輪】を抜けて、いよいよ【本丸】に入ります。

なお、【本丸】があまりにも広すぎて、守備力が落ちるため、あえて石垣の壁で【本丸】を二分して、【帯曲輪】を作ったそうだ。

出迎えてくれるのは、【会津若松城】、地元の人は【鶴ケ城】と呼ぶそうですが・・・。

鉄筋コンクリート造りですが、東北の5重天守は他には無かったはず。

登城した時は黒色の瓦ですが、現在では耐寒性のある赤瓦に葺き変わっているそうだ。

その2へ続く・・・。

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