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2015年8月30日 (日曜日)

萩城 その9

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再び、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋にある、萩城の模型に登場してもらいます。

指月山の山頂に【詰めの丸】、麓に萩城。

専門書によると、写真の右手(東側=つまり仮想的の江戸方面)の防御を厚くする設計思想だそうです。

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で、その萩城の東側の海。写真では伝わらない程の綺麗な海でした。

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萩城の東側にある【潮止門】から南側を見た石垣&土塀。

かつては石垣の傍まで海が広がっていたそうだ。

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こちらが、南から北に向かって眺めた萩城の東側の石垣&土塀です。

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萩城の東側は当時はこんな感じだったらしい。

ホントに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋にある模型には想像をふくらますのに役立ちます。

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南北に走る石垣&土塀を南に進み、東側に開く虎口を出ます。

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虎口を出て、東側から萩城(指月山)を望む。

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写真の下の方にある角っこの石垣のあたりではなかろうかな。

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変わって、今度は萩城の西側。写真の岬は妙玖寺があった場所。

妙玖とは毛利元就の正室の法名。たしか大河ドラマでは富田靖子さんが演じていましたね。

なお、萩城から【詰めの丸】に登る際に通過するのが、洞春寺跡。洞春とは毛利元就の法名だそうだ。

流石に初代夫婦は扱いが違う。

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萩城の西側の方は、本当にのんびりしたものです。

城めぐりすととしては、ちょっともの足りませんが・・・。

これで萩城自体の見学は終了。

この時点で14時30分過ぎ。萩城を4時間も見学していたらしい(笑)

残りの時間で萩の町を急ぎ足で見学します。

その10へ続く・・・。

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