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2015年8月の22件の記事

2015年8月30日 (日曜日)

HGUC ケンプファー 完成3

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何度も書くように、ケンプファーは単機での敵防衛線突破を目的とした機体。

その体中に武器を装備し、弾を撃ち尽くしたら、武器を捨てて、他の武器に持ち替える。

背中に背負っているのが、ジャイアントバズーカ。

両手に構えているのが、ショットガン。

スネの横に付いているのが、使い捨てのシュツルム=ファウストです。

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俯瞰から撮影したフル装備のケンプファー。

両手に構えるショットガンは、シルバーのウェットタイプパステルを擦りつけて、使いこんだ感じを出しています。

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ケンプファーと言えば、写真のチェーン=マインも忘れてはなりませんな。

丸い爆弾がチェーンに数珠状に連なっていて、これを敵機体に巻きつけて爆発させるという、何とも物騒な武器です。

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ちょっと、不自然になりましたが、こんな感じで敵機体に巻きつける訳ですね。

『来い。戦い方を教えてやる!!』

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ショットガンを撃ち尽くして、ジャイアントバズーカを小脇に抱えます。

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あおり気味に撮影したもの。

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ジャイアントバズーカを2丁、肩に担ぐケンプファー。

映画版ガンダムの最後の場面で、ガンダムも両肩にバズーカを担いでいましたが・・・ちょっと、これは重たそうだ。

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ショットガンのストックは取り外した状態にもなります。

こちらの方が、小回りが効いていいかな。

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萩城 その10(完結編)

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萩城の見学を終了し、城下町の至る所にある遺構を見ていきます。

何度も萩城の模型の写真を掲載したときに、名前が出ていた【旧厚狭毛利家萩藩長屋】です。

毛利元就の直系は毛利隆元、毛利輝元と萩藩主となって続き、毛利元就の二男は吉川元春、三男は小早川隆景です。

毛利元就には三本の矢の教えに出てくる、上記の3名の他にも側室に産ませた子供がおり、その5男:毛利元秋が厚狭に領地を貰って、萩藩を支えたそうだ。

長さは50メートルの長屋には沢山の部屋があり、その一つに【萩城】の模型が設置されています。

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その萩藩の藩祖、毛利輝元の墓所、【天樹院】

入場料は100円以下だと思いましたが・・・関ヶ原の戦いで判断を誤り、120万石から30万石に転落した大名の墓場に行ってもな・・・。

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【旧益田家物見櫓】です。

益田親施は幕末の毛利敬親公の家臣だそうだが、禁門の変で長州藩が朝敵となった後、責任を取らされて切腹したそうだ。

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こちらは【繁沢家長屋門】だそうだ。

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で、こちらは【旧周布家長屋門】だそうだ。

見学すべきところが多く、じっくり見ていられません(笑)

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城めぐりすととして最後の見どころ、【北の総門】

復元建築ですが、なかなかのものです。

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萩城下には、木戸孝允邸、高杉晋作邸などがありますが、まあ・・・普通の旧家でした。

上の銅像は【高杉晋作】です。

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城下町見学の最後のスポットです。

大河ドラマ『花燃ゆ』でも何度も登場した【野山獄】です。

上級武士が入れられた牢屋ですな。

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こちらは下級武士が入れられた【岩倉獄】です。

ともに全ての跡地が残っているわけではなく、石碑があるだけです。

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上の敷地が当時の【野山獄】、下の敷地が当時の【岩倉獄】です。

【岩倉獄】は【野山獄】の4分の1位の広さしかない・・・。

【野山獄】の牢屋の配置が、大河ドラマに出てきたものと同じですね。

大河ドラマを見た後で訪問した方がよかったな。

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16時30分にJR東萩駅に到着。

約6時間30分程の萩城&萩城下町の観光でした。

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16時37分の山陰本線、益田駅行きに乗って帰ります。

充実した城めぐりでした。

おしまい。

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HGUC ケンプファー 完成2

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何も武器を持たないでケンプファーが歩くシーンなんて無かったですが、フツーに歩くポーズを取らすことが出来ます。

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ケンプファーの後ろ姿。敵防衛線突破能力を求められたので、いたるところにロケットノズルが付いています。

ロケットノズルは焼鉄色で塗装してから、焼けた色を出すためにオレンジ色のパステルを上から塗りつけています。

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足の裏はこんな感じ。これまた汚し塗装をしたあとで、ウェットタイプのシルバーのパステル粉をカサカサと擦りつけました。

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あまり上手ではないのですが、肩装甲のスキマはプラ板をスキマのかたちに切り取って、ピッタリとはめ込むように調整しています。

あまり見えないので、ホントに適当です。

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普段、ガンダムのプラモデルを塗装して思うのですが、噴射口を黄色やオレンジで塗装するっておかしいよね。

火が噴き出しているんだから、絶対にスス汚れしていると思うのですが・・・。

黄色を塗装するのが面倒なので、いつも焼鉄色を塗っています。

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ピンボケですが・・・ビームサーベルを構えたケンプファー。

はて、ジオン公国軍のモビルスーツが、ビームサーベルですか・・・。

トマホークかヒートサーベルの方が似合うかな。今度、作ってみよう。

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HGUC ケンプファー 完成

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2015年8月26日、1/144縮尺、HGUCシリーズのケンプファーのプラモデルを完成させました。

ケンプファーとは、ロボットアニメ、『ガンダム0080 ポケットの中の戦争』に搭乗したモビルスーツ(=巨大ロボット)の名前です。

要は劇中地球連邦軍と戦争しているジオン公国軍が開発した戦闘兵器のことです。

特徴は、たった1機でも敵防衛線を突破する能力を高めたこと。

形式番号:MS-18E 高さは17.7メートル 乾重量が43.5トン。

ケンプファーはKÄMPFERと書き、ドイツ語で『闘士』のこと。

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このプラモデル自体は定価1800円のところ、1320円で購入。

暇な時に組み上げて放置していたものを、ちょっとやる気を出して、塗装までしたもの。

綺麗な塗装は神経を使うばかりで、面白くありませんから、いい加減に塗装して、あとは触るのを躊躇するくらい汚し塗装をいたしました、

もうちょっと汚しても良かったけどね。

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このプラモデルを作る人は、必ずと言っていいほど施す改造が、モノアイ(写真でいうピンク色のカメラアイ)を左右に動かすようにすること。

オレも、適当な部品×3個(透明ピンク色の部品、その台座となる部品、短いパイプ状の部品)を使って、モノアイが左右に動くように改造いたしました。

ユルユルなんで、勝手に左右に動いちゃうんだけど、壊れるくらいなら、このままでいいや。

そんなに難しくないし、オレでも出来たので、やってみよう。

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まあ、こんな感じに視線を右に左に動かすことができます。

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流し目が何ともセクシーです(笑)

ちなみに全身の汚し塗装は、ツヤ消しの焼鉄色、ウェットタイプのパステルの粉のシルバーやら、スス色等を部品の角っこを重点的に施し、また全体的にもかるく施しています。

また画材店で売っていた、暗い茶色のマーカーを点々と塗りつけては、溶剤でチョコチョコとぼかして、サビが流れたようにしています。

テレビを見ながら、酒を飲みながら、相当いい加減に、でも楽しみながら汚し塗装しています。

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萩城 その9

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再び、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋にある、萩城の模型に登場してもらいます。

指月山の山頂に【詰めの丸】、麓に萩城。

専門書によると、写真の右手(東側=つまり仮想的の江戸方面)の防御を厚くする設計思想だそうです。

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で、その萩城の東側の海。写真では伝わらない程の綺麗な海でした。

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萩城の東側にある【潮止門】から南側を見た石垣&土塀。

かつては石垣の傍まで海が広がっていたそうだ。

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こちらが、南から北に向かって眺めた萩城の東側の石垣&土塀です。

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萩城の東側は当時はこんな感じだったらしい。

ホントに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋にある模型には想像をふくらますのに役立ちます。

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南北に走る石垣&土塀を南に進み、東側に開く虎口を出ます。

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虎口を出て、東側から萩城(指月山)を望む。

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写真の下の方にある角っこの石垣のあたりではなかろうかな。

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変わって、今度は萩城の西側。写真の岬は妙玖寺があった場所。

妙玖とは毛利元就の正室の法名。たしか大河ドラマでは富田靖子さんが演じていましたね。

なお、萩城から【詰めの丸】に登る際に通過するのが、洞春寺跡。洞春とは毛利元就の法名だそうだ。

流石に初代夫婦は扱いが違う。

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萩城の西側の方は、本当にのんびりしたものです。

城めぐりすととしては、ちょっともの足りませんが・・・。

これで萩城自体の見学は終了。

この時点で14時30分過ぎ。萩城を4時間も見学していたらしい(笑)

残りの時間で萩の町を急ぎ足で見学します。

その10へ続く・・・。

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2015年8月29日 (土曜日)

萩城 その8

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【詰めの丸】はいざという時の避難所なので、それほど広くはありません。

上段の曲輪と下段の曲輪がある程度です。

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ここでの見どころは矢穴を打ち込こまれ、割る直前までに至った岩です。

この用に割ってから、石垣石を作って、指月山の麓に運んでいったのでしょうね。

もしくは【詰めの丸】自体の石垣に使ったのかな。

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【詰めの丸】に入ってきた時の虎口とは反対側に、もう一つの虎口がありました。

ここからちょっと下って、当時はもう一つの曲輪に行ったそうですが、現在はとてもじゃないけど行けないそうです。

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そのもう一つの虎口が、【詰めの丸】の模型の写真でいうと、中央やや右側あたりかと。

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指月山の上にある【詰めの丸】からの景色。

萩の町が広がる方向は何とか見えますが、絶景だろうと思われる海側は木々に阻まれて全く見えません。

ちょっと残念・・・。

その9へ続く・・・。

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萩城 その7

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指月山の麓に石垣が残る【萩城】ですが、オレの楽しみは150メートル程の指月山の山頂に築かれた【詰めの丸】です。

いざという時は【詰めの丸】にこもって戦う設計思想は、中世の城郭のそれですね。

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【詰めの丸】の虎口に入ります。内部が見通せないようになっているところが、実戦的です。

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残念なのは、せっかく復元された土塀に落書きがされていること。

人気の無い山頂だからといって、また復元建築物とはいえ、これでは【萩城】が泣いています。対策を求めたいです。

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虎口に入って、振り返ったもの。

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虎口を抜け、石段を登って、振り返ったもの。

小さいながら、ジグザグと進まねばならないあたり、素晴らしい防御施設です。

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萩城の近く、厚狭毛利家萩屋敷長屋にあった、萩城の【詰めの丸】の模型です。

現在では建物なんて残っていませんが、写真の中央やや下の門が、先程見てきた虎口です。


その8へ続く・・・。

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2015年8月26日 (水曜日)

萩城 その6

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【萩城天守台】の上です。他の天守台と同じく、柱を支える礎石が縦横にならんでおります。

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天守台から東側を望む。雁木が伸びている石垣、本丸門へ続く土橋が見えるかな。

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天守台から西方向を望みます。指月山のふもとに広がる萩城本丸です。

写真の左端に櫓台がありますが、実はこのあたりから入場料金を払わずに萩城の内部に入ることが出来ます。

ずいぶん前から指摘されていますが、現在も変わらないらしい・・・。

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実際の見学の順番とは違いますが、萩城の天守台を外側(南東側)から眺めたもの。

美しい弧を描く天守台の曲線が何とも言えません。

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こちらは南西側から眺めた萩城天守台石垣。

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これまた見学順番が違いまして、JR東萩駅に戻った時に撮影した、駅前の萩城天守台の模型です。

小さいながらも五層の望楼型天守です。

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この写真は今まで見学してきた萩城がどの様なものだったのかの模型です。

左側から右側へ二の丸南門をくぐって、さらに本丸門をくぐって、天守に向かいます。

その7へ続く・・。

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萩城 その5

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9時にJR東萩駅に到着してから、いろいろと見学してきましたが、【萩城】を目の前にして丁度12時の昼食の時間となりました。

【萩城】の南側、二の丸南門跡の前にある、お土産店にて『ちらしずし定食』(¥1,000)を注文。

左上のフグの唐揚げが目当てでした。
添えてあるのはレモンではなく、夏ミカンだったらしい。絞ってフグの唐揚げにかけちゃったよ・・・。

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昼食を終えて、【萩城】の二の丸南門跡から入ります。

城郭のお約束、クランク状のジグザグ道の虎口を通って行きます。

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その虎口に、萩藩の初代藩主、毛利輝元公の銅像があります。

毛利輝元公は、中国時代の戦国大名:毛利元就公の孫です。

国人領主から大大名に成長した毛利元就の長男、毛利隆元は父に先立って死去。

毛利輝元は叔父の吉川元春、小早川隆景の『毛利の両川』の補佐の下、豊臣政権の五大老になりましたが、関ヶ原の戦いで西軍の総大将に祭り上げられ、結果、中国地方120万石から、周防・長門の30万石に減封となってしまいました。

・・・まあ、毛利元就公からしたら、不肖の孫としか言いようがない(泣)

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とにかく、ジグザグ道を通って行きますと・・・

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二の丸を抜けて、【萩城】の本丸が見えてきます。

写真、左手が【萩城天守台石垣】で、後方の山が【指月山】で、ここにも【詰めの丸】という曲輪があるので、見学します。

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こういった写真の方が分かりやすいかな(笑)

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さて、【萩城】の本丸門から、入場料金を支払って、百名城のスタンプを押すことにします。

2011年10月当時、ネット上の百名城スタンプラリー同好会で、次の様な情報が流れていました。

『萩城の受付のオジサンが怖い』
『スタンプを押す時に「力を入れるな!スタンプが壊れるだろ!」と言ってくる』
『スタンプが壊れるから、試し押しは許さないと言ってくる』
『スタンプ集め以外の人にはスタンプを貸してくれない』

・・・接客業、失格じゃん(笑)

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こういうオジサンとは会いたくないので、萩城に登城する前日、オレは萩市役所と萩観光協会に電話したもの。

『ネット上で噂になっている受付のオジサンの当番日時を知りたい』って。

電話の向こうで、男性職員が謝っていたけど、結局当番日時は不明のまま。

受付に誰がいるか分かるまで、ドキドキしましたよ。オジサンがいたら、喧嘩してたかもしれんわ(笑)

・・・受付は応対の良い、オバサンでした(笑)

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さっそく、本丸門の石垣の上に登って、天守台方面を眺めます。

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天守台に近い石垣の内側は、ご覧の通り雁木の石段となっています。

もちろん多数の兵士が、内部からすぐに石垣に登って、攻撃するための施設。

ここまで長い雁木の石垣も珍しい。

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で、いよいよ【天守台石垣】の上に登ります。

その6へ続く・・・。

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萩城 その4

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かつての【萩城】の三の丸=河口の三角州を自転車で散策します。

至る所に萩藩の武士の居宅や、幕末の志士の生家が残っており、全てを見ると丸一日でも足りるかどうか・・・。

上の写真、白漆喰の建物は【児玉家長屋門】。

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【萩城】に途中に萩藩の藩校:【明倫館】の跡地がありました。

大河ドラマ『花燃ゆ』でも、チラッと登場しましたが、現在は夢の跡です。

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いたる所の民家に土塀が残っており、また夏ミカンの木が植えられていました。

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萩城に限らず、城下町は侵入した敵が見通せないように、また迷わせるように、至る所に【鍵曲がり】になっています。いわゆるクランク状の道路です。

ちなみに上の方の写真は、当時のイメージを大切にするため、道路の舗装が薄茶色になっているそうだ。

大河ドラマ『花燃ゆ』の前半でも、【鍵曲がり】が舞台になっていましたね。

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鍵曲がりを通って、つきあたりまで進むと、【口羽家住宅】に着きます。

口羽家は萩藩主、毛利家から分かれた志道家から更に分かれた上級武士だそうだ。

上級武士だけに、萩城の近くにお住まいです。

写真は【口羽家表門】です。

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また内部には【主屋】も残っています。

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庭からは橋本川や玉江の風景が楽しめます。

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【口羽家住宅】の見学したら、いよいよ【萩城】の見学です。

萩の街は碁盤の目の様に道路が整備されていますが、地図が無いと散在する建物にたどりつけません。

その5へ続く・・・。

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2015年8月23日 (日曜日)

萩城 その3

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萩の町は二股に分かれた松本川と橋本川に挟まれた三角州の上に出来ています。JR山陰本線はその三角州を東・南・西とぐるりと囲むように走っています。

松本川を渡って、三角州に向かい、南側に進んでいきます。

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三角州の南端に到達。松本側から三角州に引き込まれた小さな人工の川=藍場川の最上流沿いに建つ【旧湯川家屋敷】を見学しました。

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このように鯉がゆったりと泳いでおります。この藍場川の水が【旧湯川家屋敷】に取り込まれています。

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見学の順序が逆になりますが、【旧湯川家屋敷】の庭に出ると、藍場川から取り込んだ水が庭にやってきます。

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↑の写真は台所のハトバという場所。

庭に取り込んだ藍場川から取り込んだ水は台所の下をくぐって、先程の鯉の泳ぐ藍場川に戻っていきます。

ここで野菜や茶碗を洗っていたようです。

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【旧湯川家屋敷】の内部はこんな感じ。

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【旧湯川家屋敷】を見学した後は、お隣さんの【桂太郎旧宅】も見学しました。

桂太郎とは、萩藩出身で、日英同盟を締結した時の総理大臣だそうだ。

また拓殖大学の前身を創設した方だそうだ。

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【桂太郎旧宅】も藍場川から庭園に流れを引き込んでいる造りだそうだ。

さて、三角州の東南隅から再び北上して、【萩城】のある三角州の西端に向かいます。

その4へ続く

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萩城 その2

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9時頃にJR山陰本線の東萩駅に到着しました。

【萩城】に登城するには、2つ先の玉江駅が近いのですが、自転車を借りるには東萩駅の方が良いこと、また【松陰神社】が近いということで、JR東萩駅を拠点とすることにしました。

東萩駅を降りて南側(左手)に自転車貸し出し所があります。一日1000円でした。

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まず最初に訪問したのが、東萩駅から南にある【松陰神社】でした。

東京都世田谷区にもありますが、やはり萩に来たら【松陰神社】に行かなくてはなりませんな。

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幕末史で登場する【松下村塾】。

吉田松陰が、身分や家柄にとらわれずに、一年余の間に教育を行った場所。

久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などの人材を輩出した場所なのですが・・・見てびっくり。

とても小さい!! 2棟しかないじゃん。

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写真のとおり、1棟は8畳分の部屋しかありません。

こんな狭い部屋で、大河ドラマの『花燃ゆ』の様な暑苦しい男たちが、勉強していたとは・・・。

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【松下村塾】の隣にあるのが、【吉田松陰 幽囚の旧宅】だそうだ。

2015年大河ドラマ『花燃ゆ』でも登場してきた、吉田松陰の父ちゃん=杉 百合之助の家だそうだ。ドラマでは庭先で家庭菜園してましたな。

伊豆下田で黒船に乗船し損ねた、吉田松陰先生がここで謹慎したそうだ。

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ドラマでは、父ちゃん、母ちゃん、梅太郎兄ちゃん夫婦、吉田松陰先生、敏三郎、主人公の文が住んでいただけあって、中は広い広い。

萩の町観光が2011年10月でしたので、当時は『ふ~~ん』と見ていましたが、2015年の大河ドラマを見た後で、ここに来たら、もっと楽しめたのにね。

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あとは参拝をして、松陰神社周辺(伊藤博文旧宅・別邸)等を見ましたが、特に感慨も感じず・・・。

奥田瑛二さんが演じた、玉木文之進の旧宅前も通っているんですが・・・記憶なし。

その3に続く・・。

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萩城(山口県萩市)

2011年10月7日~10日まで、【萩&津和野遠征】と称して、3泊4日の城郭めぐりをしてきました。

その【萩&津和野遠征】の2日目は山口県萩市の【萩城】に登城しました。

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【萩&津和野遠征】での拠点はJR山陰本線の益田駅から徒歩40歩前後(笑)の【駅前ビジネスホテル】といたしました。

上の写真は宿泊部屋から撮影したJR益田駅です。

駅前には更にグレードの高いホテルがあるのですが、1泊の料金が魅力です。

要はホテルは風呂入って、寝るだけですので・・・。

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ちなみにJR益田駅から撮影した【駅前ビジネスホテル】がこちら。

シングル1泊3500円は安いでしょう。

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JR益田駅に入って、電車を待ちます。

この爺さんの顔に驚きですが、石見国(島根県西部)で亡くなった歌聖:柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の人形です。

確か、万葉集の時代の歌人だったかな。

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7時49分、長門市駅行きの山陰本線に乗り込みます。

確か・・・1両だったような・・・(笑)

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JR益田駅を出て、西方の萩に向かいます。

益田駅を出るとすぐに山陰の清流:高津川を鉄橋で渡ります。

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島根県西部から山口県に向かって走る、山陰本線はご覧の通りの単線です。

各駅停車ののんびりした旅ですが、無人駅や乗降客のいない駅もチラホラでした。

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そして、日本海も車窓右手に見えてきます。目的のJR東萩駅まで、もう少しです。

その2へ続く・・・。

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2015年8月18日 (火曜日)

HGUC ケンプファーを作る その6

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久々のプラモデル製作日記の更新です。(前回のUPが2015年7月20日・・・1ケ月前)

1/144縮尺のHGUC ケンプファーのプラモデルを毎週末にコツコツと塗装をしておりました。

8月16日の時点で、上の写真の状況まで持ってきました。

とりあえずは基本塗装は終了。

あとは、汚し塗装をして完成にもっていきます。

ここまで来るとプラモデルの塗装も進んでいきますね。

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2015年8月16日 (日曜日)

平戸城 完結編

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【平戸城】とは直接関係ありませんが、教会とお寺が同時に見学できる場所があると知り、帰路につく前に見学することにしました。

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寺より上にある教会に行くにはご覧の階段を登っていかねばなりません。

体力が残っていなかったので、申し訳ないですがパスいたしました。

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【平戸城】の見学を開始したのが、朝の9時30分。

そして【平戸城】周辺を離れて、平戸大橋を渡ったのが15時30分。

じっくりと見学しすぎな気もしますが、十分満足いたしました。

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15時40分頃に松浦鉄道、たびら平戸口駅に到着。レンタサイクルを返却しました。

15時45分に到着した伊万里駅行きの電車に搭乗します。

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さて、その伊万里駅、松浦鉄道の駅とJRの駅が真向かいにあります。

松浦鉄道が出来る前はおそらく国鉄の伊万里駅としてつながっていたのではないかと・・・。

今では駅を分断して車道が貫いています。

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こんな感じです。

左手がJR伊万里駅、右手が松浦鉄道伊万里駅です。

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17時40分頃の西唐津駅行きの電車に乗り込みました。

これで【平戸城登城日記】は終了です。

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2015年8月15日 (土曜日)

平戸城 その7

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【平戸城】の西側にぐるりと廻り込みます。

石橋の向こうに見えるのが【幸橋御門】だそうです。

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平戸城の天守櫓群がバッチリ撮影できるスポットに到着。

左から【見奏櫓】、【沖見櫓】、【天守】、【狸櫓】、【北虎口門】、【地蔵坂櫓】といったところか・・・。

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鉄筋コンクリート造でも、なかなかの見応えです。

休憩場に過ぎない【沖見櫓】もやはり天守の傍に建っているのがいいですね。

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九州本土とつながる【平戸大橋】方面を眺める。

ずいぶんと遠いところまできたものです。

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【松浦史料博物館】を訪問します。

かつての【御館】ですが、内部は大砲やら、小牧長久手合戦図屏風やら、豊臣政権五大老の朱印状などが展示されていました。

その8へ続く・・・。

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2015年8月11日 (火曜日)

平戸城 その6

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かつての曲輪が相撲場になっています。

左の櫓が【見奏櫓】、右の櫓が【懐柔櫓】です。

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【平戸城】の城域は亀岡神社になっています。

二の丸方面から南側に向かって、クネクネと曲がり角の続く、神社の参道となっています。

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再度、レンタサイクルに乗り、【平戸城】の東側から南側へと見学していきます。

平戸城の天守、見奏櫓、懐柔櫓が丘の上に見えます。

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平戸城の麓にある外曲輪は現在、猶興館高校となっています。

かつては御殿があったようで、石垣で周囲が囲まれていたようです。

写真の門は白浜御門・・・・そのものかな?

その7へ続く。

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2015年8月10日 (月曜日)

平戸城 その5

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いよいよ、【平戸城天守】に入城します。

もっとも、本来は【平戸城天守】なるものは存在していなかったようで、写真の天守は鉄筋コンクリーと造の模擬天守になります。

入場料500円を支払って入城します。
佐賀県の肥前名護屋城や唐津城もそうでしたが、1月2日というのに、営業してくれたことに感謝です。

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もちろん、最大の目的、日本百名城スタンプラリーのスタンプも押印しました。

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【平戸城天守】内は【平戸城】関係の展示や、松浦氏の歴史についてが主な内容です。

内容は充実しているのですが、こちらの基礎知識が不足してます(泣

上の写真は【平戸城】の縄張り立体模型です。

一番手前が【狸櫓】や【北虎口門】や【地蔵坂櫓】ですね。

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【平戸城天守】最上階からの眺めです。

正月の海は青々としていて、見ていて気持ちが良いです。

右下に見えるのが【見奏櫓(けんそうやぐら)】です。

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同じく【天守】からの眺めです。

左下が【見奏櫓】で、堤防の根元あたりに屋根だけ見えるのが【懐柔櫓(かいじゅうやぐら)】です。

さらに写真右端の真ん中あたり、必死こいて渡ってきた【平戸大橋】の鉄柱がかすかに見えます。

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【平戸城天守】から出て、入口の反対側から撮影したもの。

天守の横にあるのが【沖見櫓】らしいのですが・・・普通の休憩所です。

その6へつづく。

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2015年8月 9日 (日曜日)

平戸城 その4

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平戸城の西側に開く、【北虎口門】です。

これは確か現存だったと思いますが・・・。

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その【北虎口門】の北側に連なっている【狸櫓】こと【多門櫓】です。

何でも【平戸城】を守護する代わりに、狸が住みついたため、この名がついたとか・・・。

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再び【北虎口門】をくぐり、本丸に向かって階段を上って行きます。

手前が【北虎口門】の内側、奥には先程紹介した【地蔵坂櫓】が見えます。

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そんなに登らなくても、【本丸門】が見えてきます。

櫓門である【本丸門】の内部は休憩所になっていました。

さて【本丸門】をくぐり、左折すると、本丸に入れます。

もうこの時点で10時30分・・・平戸城に入城したのが9時30分ですので、かれこれ1時間も見学しています。

じっくりと見学しすぎですよ・・・。

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平戸城 その3

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しばらく自転車をこぎ続け、上の地図の右側(東側)から、平戸城の南を通って、西側にあるテニスコートに自転車を止めます。

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階段を上って、平戸城の西側から登城します。

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すぐに目に入るのが、【乾櫓】です。

現代工法による鉄筋コンクリートで作られたもので、内部は売店となっています。

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こちらの櫓は【地蔵坂櫓】

これも鉄筋コンクリート造ですが、内部は展示物が置かれています。

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【地蔵坂櫓】から平戸城の西側を眺めたもの。

写真の中央、山の中腹に【松浦史料博物館】があり、ここはかつての藩主の【御館】でした。

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【北虎口門】をくぐりぬけて、外側から見た【地蔵坂櫓】です。

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平戸城 その2

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8時30分頃、およそ2時間弱の電車旅を経て、松浦鉄道:たびら平戸口駅に到着しました。

この駅の特徴は・・・。

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日本最西端にある駅だそうだ。

もっとも沖縄県を走るモノレールを含めると、那覇空港駅が最西端の駅になると思いましたが?

モノレールは鉄道じゃないもんな・・・。

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たびら平戸口駅にて、自転車を借ります。一日500円という普通のお値段。

駅から平戸城までは4.2キロあるので、少なくとも自転車が無いといけません。

一度、たびら平戸口駅から坂道をおりて、海岸に向かい、今度は平戸大橋を渡るために緩やかな坂道を登って行きます。

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平戸大橋から南側を望む。

平戸大橋を自転車で渡ることは事前に予測していたので、たびら平戸口駅の駅員にあらかじめ電話をしたことを覚えています。

『平戸大橋、自転車で渡るのは大丈夫ですかね?』

『そうですね~、死亡事故があったとは聞いたことないですね・・・。』

たしかに、歩道も整備されていましたが、海面から相当高いところを自転車で渡るのは・・・ビクビクしましたよ。

コワイもの見たさで、橋から海面を覗きこみましたが・・・やはりコワイです。

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平戸大橋を渡りきり、田平町から平戸市へ。

ここらで平戸城まで丁度半分くらいですかね。

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平戸大橋を過ぎて、再び下り坂・・・。

外国人の図というレリーフを発見。

ああ、江戸時代初期、外国人との交流は長崎県の出島の前は平戸でしたね・・・。

その3へ続く。

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2015年8月 8日 (土曜日)

平戸城(長崎県平戸市)

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2012年1月2日、佐賀県のJR唐津駅周辺を宿泊地として、【平戸城】へ登城することになりました。

早朝からホテルを出て、6時40分唐津駅発の各駅停車に乗って、まずは伊万里駅に向かいました。

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朝食はコンビニで購入していた2個のおにぎり。

日の出前の真っ暗の中、伊万里駅に向かって出発です。

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約1時間後の7時30分過ぎに、終点:JR伊万里駅に到着しました。

JR線の旅はここまで。

第三セクター線の松浦鉄道に乗り換えます。

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伊万里駅から更に『たびら平戸口駅』に向かいます。

伊万里駅は『たびら平戸口駅』経由、『佐世保駅』行き方面と、『有田駅』行き方面の2方向に分かれて電車が発車します。

乗る電車を間違えると最悪です・・・。

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ご覧のとおり、一両の電車で旅をします。

伊万里駅から、たびら平戸口駅へは片道1090円(当時)。

オトク感は少々ですが、一日乗車券2000円を購入して、乗車します。

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松浦鉄道は海沿いを走っていきます。火力発電所の近くも通ります。

続く・・・か?

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