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2014年5月10日 (土曜日)

第2次兵庫県城郭遠征 篠山城編 その4

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本丸より一段高い殿主丸は現在、青山神社となっている。

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青山神社を囲うように多聞櫓を支えていた石垣が走っていた。

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その殿主丸には天守台はあるものの、3つの多聞櫓と3つの隅櫓が建っていたそうだ。

写真は本丸の北側から殿主丸の東北隅に建つ櫓台石垣を撮影したもの。

重要拠点の殿主丸を守る櫓だけに櫓台石垣の高さもなかなかのもの。

櫓台の後ろに見えるのが篠山小学校の校舎、さらに奥にそびえる山が丹波富士と称される高城山だそうだ。

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殿主丸の東北隅の隅櫓のあった場所には、やはり柱を支える礎石が残っていた。

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殿主丸の東南隅には天守が建てられなかった天守台石垣が残っている。

内側からみるとそんなに高い石垣ではないが、外側から見るととんでもなく高い。

篠山城天守が建てられなかったのは、豊臣秀頼のいる大坂城の包囲網の一つとして建てられた篠山城には戦闘力さえあれば良い、権威を象徴する天守は要らないという発想があったからだそうだ。

篠山城がある程度出来あがると、次は同じ大坂城包囲網の城郭の一つ、名古屋城の天下普請に西国大名を動員したそうだ。

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天下普請の城郭らしく、複数の大名が分担して石垣積みをするため、石垣石の盗難を防ぐために、石垣石に色んな種類の刻印を施している。

四角に横棒とか、2つの四角を重ねたり、なかなか個性的で面白い。

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もう一度、篠山城天守台石垣から東南方面を望む。

丹波富士:高城山には中世城郭の八上城があったそうだ。

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篠山城の天守台の上には特にこれといった遺構はない。

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天守台石垣から西方面を見下ろすと、殿主丸の南面を走る多聞櫓を支える石垣がある。

多聞櫓を小部屋に分けていたのか、柱か土壁を支える礎石がたくさん見える。

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殿主丸に生えていた杉の木。螺旋を描くように上に伸びている。

同行の知人がやたら感激していた。

言われなきゃ気がつかなかったよ・・・。

つづく。

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