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2014年2月28日 (金曜日)

第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その9

その8で終了予定でしたが・・・・伊勢亀山城のジオラマで気になったことがあったので、掲載いたします。

伊勢亀山城は東海道を抑える機能もあったのですが、亀山市立歴史博物館のジオラマで、旅人目線で東海道を追いかけてみました。

 

Img_6349

まずは東方面:江戸口から関所をカクカクと曲がりながら通過します。

しばらく、西に伸びる東海道を歩きます。

 

Img_6350

東海道を西進するも、三の丸大手門で左折します。

流石に伊勢亀山城内には入れませんね。

南にクランク状に進むと、先程見学した遍照寺の前を通過します。(画像左下隅)

ここら辺は宿場町ですね。

 

Img_6347_2

前の画像とルートが半分近く重なりますが、2つの寺の前の東海道宿場町を歩いていきます。

 

Img_6351

水濠の前で左折して、今度は右折して、しばらくまっすぐに東海道をすすみます。

画像中央やや左に青木門があります。青木門を右手に歩いていって、次は右折&左折する訳ですな。

 

Img_6352

その右折&左折の先には伊勢亀山城の西の端っこ:京口門となります。

 

Img_6353

京口門を抜けると、これまたクランク状に坂を下りながら、伊勢亀山城を後にして東海道の旅が続くわけですね。

 

いや~。伊勢亀山城の城めぐりは街全体が見どころといった感じでした。

もっとも・・・素人さんには何が何だかわからないでしょうが・・・。

 

最後に一つ。

伊勢亀山城のシンボル:本丸多聞櫓の位置には、かつて立派な天守が建っていたそうです。

ところが江戸幕府が松江城の城主:堀尾吉晴に『【丹波】亀山城の天守を修理せよ』と命令したところ、堀尾吉晴は何を勘違いしたのか【伊勢】亀山城の天守を壊してしまったとの話があります。

これには諸説あって、当時の伊勢亀山城主は数万石の小大名だったようで、『小大名が天守を持つなんぞ許せん』という江戸幕府の思惑があったとか・・・。

『いくらなんでも丹波亀山城(現:京都府亀岡市)と伊勢亀山城(現:三重県亀山市)を間違えるなんて、アホやろ~』とオレは思っていました。

しかし・・・オレもそのアホの一人でした。

亀山市立歴史博物館内の展示に、SHARPの液晶工場が三重県亀山市にあるということを初めて知りました。

SHARPの液晶テレビの亀山モデルは知っていましたが、オレは京都府の亀岡市とごっちゃにしていました(笑)。

丹波亀山城(京都府亀岡市)と伊勢亀山城(三重県亀山市)・・・紛らわしいです。

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