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2014年2月の11件の記事

2014年2月28日 (金曜日)

第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その9

その8で終了予定でしたが・・・・伊勢亀山城のジオラマで気になったことがあったので、掲載いたします。

伊勢亀山城は東海道を抑える機能もあったのですが、亀山市立歴史博物館のジオラマで、旅人目線で東海道を追いかけてみました。

 

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まずは東方面:江戸口から関所をカクカクと曲がりながら通過します。

しばらく、西に伸びる東海道を歩きます。

 

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東海道を西進するも、三の丸大手門で左折します。

流石に伊勢亀山城内には入れませんね。

南にクランク状に進むと、先程見学した遍照寺の前を通過します。(画像左下隅)

ここら辺は宿場町ですね。

 

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前の画像とルートが半分近く重なりますが、2つの寺の前の東海道宿場町を歩いていきます。

 

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水濠の前で左折して、今度は右折して、しばらくまっすぐに東海道をすすみます。

画像中央やや左に青木門があります。青木門を右手に歩いていって、次は右折&左折する訳ですな。

 

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その右折&左折の先には伊勢亀山城の西の端っこ:京口門となります。

 

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京口門を抜けると、これまたクランク状に坂を下りながら、伊勢亀山城を後にして東海道の旅が続くわけですね。

 

いや~。伊勢亀山城の城めぐりは街全体が見どころといった感じでした。

もっとも・・・素人さんには何が何だかわからないでしょうが・・・。

 

最後に一つ。

伊勢亀山城のシンボル:本丸多聞櫓の位置には、かつて立派な天守が建っていたそうです。

ところが江戸幕府が松江城の城主:堀尾吉晴に『【丹波】亀山城の天守を修理せよ』と命令したところ、堀尾吉晴は何を勘違いしたのか【伊勢】亀山城の天守を壊してしまったとの話があります。

これには諸説あって、当時の伊勢亀山城主は数万石の小大名だったようで、『小大名が天守を持つなんぞ許せん』という江戸幕府の思惑があったとか・・・。

『いくらなんでも丹波亀山城(現:京都府亀岡市)と伊勢亀山城(現:三重県亀山市)を間違えるなんて、アホやろ~』とオレは思っていました。

しかし・・・オレもそのアホの一人でした。

亀山市立歴史博物館内の展示に、SHARPの液晶工場が三重県亀山市にあるということを初めて知りました。

SHARPの液晶テレビの亀山モデルは知っていましたが、オレは京都府の亀岡市とごっちゃにしていました(笑)。

丹波亀山城(京都府亀岡市)と伊勢亀山城(三重県亀山市)・・・紛らわしいです。

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第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その8

ついに城めぐり日記の伊勢亀山城編も今回で完結できそうです。

日本百名城には選定されなかったのですが、キラリと光る城郭でしたな。

 

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関見櫓から東にUターンして、再度本丸多聞櫓を眺めます。

中学校のネットの穴から撮影したものです。うーん、立ち入り禁止区域があったのが痛い。

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伊勢亀山城の写真でよく見かけるアングルでもう一度振り返ります。

現在の街並みの基礎はやはり戦国時代につくられた縄張りから出来ているんですね。

 

伊勢亀山城の見学が一通り終了した、この時点で16:00あたり。

伊勢亀山城の次には鈴鹿市にある神戸城を見学する予定でしたが・・・冬の城めぐりの弱点=日照時間が少ない=見学時間が限られる問題にぶち当たりました。

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最後の見学スポットは遍照寺。ここには伊勢亀山城の二の丸御殿の玄関が移築されているのです。

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写真の△屋根の部分が二の丸御殿の玄関屋根です。

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屋根瓦の家紋の彫刻をみると、伊勢亀山城主の石川家の家紋=笹竜胆(ささりんどう)となっています。

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ちなみに遍照寺のある位置は画像やや右下隅の大きい屋根のある敷地です。

その左隣の高い位置にあるお寺も確かに現在に残っております。

画像左上隅が本丸多聞櫓ですな。

 

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遍照寺からでて、東海道を西に歩いて行きます。

亀山宿のあった場所ですから、左右には古い建物が残っており、「ここはかつての◎◎屋」などと表示板がたくさん貼られていました。

亀山駅の次の電車に間に合うために、ここはダッシュです。

 

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急いでいるのに、こういうものを発見してしまうところが、嬉しいのだか、ツライところなのだか・・・。

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亀山駅に到着。16:24発の伊勢市行の紀勢本線に乗車します。

検討した結果、本日の3つ目の登城先の鈴鹿市の神戸城は諦めました。日没後の城めぐりはむなしい・・・。

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伊勢亀山城とは全く関係ないけれど、県庁所在地の津駅の駅名表示。

自分は近眼なもんでして・・・一瞬、駅名が「?」に見えました。

「えええー、ここは津駅だろ! なんで「?」なんだー!」と訳のわからんことを思っていました。

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2014年2月27日 (木曜日)

第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その7

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本丸多聞櫓を見学した後、先程外側から見学した二の丸の北側にある帯曲輪を、今度は内側から見学します。

クネクネとクランク状に降りて行くのが埋門の跡です。

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帯曲輪に降り立って振り返った写真がコレ。

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土塀の内側はこんな感じ。

先述のとおり、矢狭間・鉄砲狭間は無かったので、単純に薬草を育てていたお花畑だったいう説があります。

 

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次にこれまた外側から見学した三重櫓跡を内側から見学します。

残念ながら、ベンチなどが設置されており、櫓台は改変されております。

まあ・・・写真を見る限り、三重櫓台は四角形でしたね。

 

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またまた先程、外から見学した西出丸の土塁の上に登ってみました。

ここで再度、城めぐりストのセンサーが作動します。

右に曲がりつつ下っていく車道・・・

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坂道は右折しながら下って行き、関見櫓跡に到着します。

関見櫓は伊勢亀山城の西側、関方面を監視していたから関見櫓と命名・・・分かりやすい。

 

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またまた登場の亀山市立歴史博物館のジオラマに登場してもらいます。

手前の緑の斜面が、西出丸北側の土塁。

オレンジ色の櫓が関見櫓。

で、見学ルートが黄色の矢印。ちゃんと右折しながら坂道を降りているでしょ?

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第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その6

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三の丸大手門でとんぼ返りして、西に進み、さらに南に坂を下ると、石坂門跡があります。

 

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最初の写真の方向とはまったく逆ですが、黄色の丸が石坂門。

その石坂門跡で回れ右!をすると・・・

 

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今回の伊勢亀山城見学のメインともいえる、本丸多聞櫓が見えます。

なんと石垣の下は亀山中学校の校庭となっております。

しかもバックネット裏に三重県唯一の現存建物の本丸多聞櫓・・・ファウルフライのボールが当たっちまうだろ!

 

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本丸多聞櫓は、かつての伊勢亀山城の天守台の上に建っております。

しかも多聞櫓自体は、逆L字型の建物です。

 

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下調べにて、土日の10時~16時に本丸多聞櫓の内部を見学できると分かっておりますので、北側から階段を上って入城します。

 

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現存遺構であるため、内部は土壁に木の柱です。

本丸多聞櫓は2011年夏から2012年春までの間、板壁から白漆喰壁に修復していたそうで、公開間近の2012年12月下旬に何と不審火によって内部の柱が燃えてしまったとのこと。

三重県唯一の現存城郭建築物に何ということをするんじゃ!

運よく全焼は免れ、写真中央の柱の根元を除去して、新しい木材をはめ込んで、2013年4月に一般公開したそうだ。

オレが見学できたのも、運が良かったんだな・・・。

 

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再度、外に出まして、本丸多聞櫓を下から見上げます。

城めぐり開始直後は天気が曇っていましたが、御覧の通りの青空でした。

メインディッシュは最後に残しておくものだね。

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野面積み石垣のラインも美しいですなあ~。

 

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本丸多聞櫓の裏側に廻ります。逆L字型になっておりますな。

この角度から見ると、この位置に天守が建っていたんだなあとわかりますね。

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石垣の裏には巨石が3つほど積まれておりました。

伊勢亀山城の石垣は当時の石積み集団の穴太衆が積んだものと、現代になって積んだ石垣があったようですが、平成19年の三重県の地震で現代に積んだ石垣は崩壊。

戦国時代に積んだ穴太衆の石垣はびくともしなかったようだ。

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第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その5

いい加減、終わりが見えない三重県城郭遠征旅日記。

2城目の伊勢亀山城で、その5だぞ・・・。いつか投げ出しそうだw

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さて、写真は伊勢亀山城の二の丸の北側にある帯曲輪の土塀です。

復元建築ですが、土塀のくせに矢狭間・鉄砲狭間がありません。

江戸時代という平和の時代になって、帯曲輪はお花畑だったとか・・・。

それにしても、やはり土塁の高さが分かる。

 

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で、亀山城二の丸に建っている、亀山西小学校の北西隅には、江ケ室門と神戸櫓跡の案内ポールがあります。

桑名城にも神戸櫓があったけど、これは神戸城の天守を運んで建てたから。

伊勢亀山城の神戸櫓は、現在の鈴鹿市にある神戸城の方向に建っていたからかな?

 

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神戸櫓跡から南に進むと、太鼓櫓跡の案内柱が亀山市役所の駐車場の入口に建っております。

時を知らせる太鼓があったから、太鼓櫓・・・分かりやすい。

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で、写真の道路を挟んで左下隅の青色?のタイルの場所には太鼓門があったとか。

写真の奥が北側で、江ケ室門・神戸櫓の跡地でして、太鼓門と太鼓櫓との距離は数十mといったところ。

写真の右手が東側方向で、後で見学する三の丸大手門の跡になります。

しかし・・・太鼓櫓の石垣跡を保存し、当時の登城路を再現するとはいえ、現在の車道を写真の様にクランクさせて、ドライバーには不便ったらありゃしないだろうに・・・。

 

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毎度毎度の亀山市立歴史博物館のジオラマに登場願います。

伊勢亀山城の北側から眺めています。

画像右手から黄色の線に沿って、見学いたしました。
(分かりづらかったら、画像をクリックすると拡大されます。)

赤い丸が本丸の三重櫓、水色の楕円が二の丸北の帯曲輪、黄色の丸が江ケ室門(左)と神戸櫓(右)、ちょっと見づらいけど、紫の楕円が太鼓櫓(左)と太鼓門(右)ですね。

で、画像右手(東)に向かったわけです。

 

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伊勢亀山城の内部を東西に走る道路を東に進むと、三の丸大手門の跡の石垣がありました。

現在はフジヤ文具店隣の駐車場になっております。

 

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見る方向が東南方向になりますが、黄色の枠が三の丸大手門。

写真下の左折する道が東海道。

写真上の水色の枠が太鼓門と太鼓櫓ですね。
(分かりづらかったら、画像をクリックすると拡大されます。)

 

・・・・まだ、見学がおわらんのか・・・。

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第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その4

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亀山古城から東に進みます。右手には亀山城本丸の北側を固める水濠が見えます。

 

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その水濠の1/3程度は埋め立てられて、菖蒲園になっております。

写真の左側の斜面が亀山古城のあった方面(北側)で、写真の右側の斜面が伊勢亀山城本丸の西側を固める西出丸の北面の土塁です。

 

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伊勢亀山城の必見ポイントとして下調べをしてきましたが、西出丸の北面の土塁の高さはなかなかのものです。

斜面がゆるやかに見えますが、鎧を着込んで登れないですよ。

このまま進んで、先程の水濠に戻っていきます。

 

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本丸の北側を水濠を挟んで撮影しました。

このこんもりとした土塁の盛り上がりは、ピーンと来ましたよ。

本丸の北側に建っていた、三重櫓跡ですな。

 

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またしても、ジオラマ登場。

中央の櫓が事実上の天守の役割を果たしていた、伊勢亀山城の本丸三重櫓です。

ああ・・・残っていればよかったのに・・・。

 

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今回の城めぐりのコースです。

画像の右上隅が亀山古城のあたり。

一旦、ヘアピンカーブをして、西出丸の土塁の下を通ってから、三重櫓を見学するというコースでした。

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第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その3

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伊勢亀山城の城めぐりは続きます。

明治時代になり城郭が不要なものとなり、その敷地内には役所やら学校やらが建てられるようになりました。

かつての本丸の南側にあった水濠は埋め立てられて、現在は亀山中学校が建っています。

こういう場所でカメラを持って歩いていると、怪しまれるので困りものです(泣)。

 

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亀山中学校を西に進むと、伊勢亀山城の黒門跡があります。

何気なく案内ポールが建っているだけですが、これがあるだけでも当時を思い出しながら城めぐりができるから助かります。

 

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ちなみに黒門は西の丸の西側に開いた門で、上のジオラマでいうならば、オレンジ色の丸のあたりですね。

オレンジ色の丸の上にある水濠が埋め立てられて、亀山中学校が建てられたというわけです。

 

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黒門から更に西へ、ちょっと南へ進んで、更に西に進むと、伊勢亀山城の京口門跡があります。(写真は西側から撮影しているので、写真奥が伊勢亀山城方面となります。)

京都方面に開いた門だから、京口門・・・分かりやすい。

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更に伊勢亀山城から離れて、西側から撮影したもの。

実はこの黄色と赤の道路は東海道・・・伊勢亀山城は東海道を監視する目的もあったのですな。

黄色と赤の道路は手前側が下の斜面となっていて、現代に架けられた橋となっています。

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亀山市立歴史博物館所蔵のジオラマと比較してみると、当時はクランク状になっていたようですね。

現在ではもっと左側に橋が架かっているということです。

 

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京口門跡を見学した後は、黒門跡に戻ってから、更に北上・・・伊勢亀山城跡の北西に位置する亀山古城を見学しました。

・・・ただの小山です。周囲には民家が立ち並び、侵入するのは憚られます。

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またもジオラマ登場。亀山城の北西側から眺めます。

手前のこんもりしたマリモの様な小山が亀山古城。

亀山古城の左手にある緑の斜面あたりが、亀山市立歴史博物館のある場所です。

 

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思いっきり逆光写真なのですが、亀山市立博物館です。

伊勢亀山城の資料がたくさん貰えますし、展示物も鎧やカブトや刀もありました。

そして何と言っても伊勢亀山城のジオラマが素晴らしい!

しかも・・・この日は何故か常設展示が無料でした。

亀山市立博物館様々でございます。

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第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その2

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12:15頃にJR亀山駅に到着しました。

関西本線と紀勢本線の接続駅なので、食事ができる場所を期待していたのですが、個人経営の食品店がある程度・・・。

ここでオレの拳大の唐揚げおにぎりを2個購入しまして(計300円)、伊勢亀山城まで徒歩10分弱の間に昼食を済ませます。

 

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早速、伊勢亀山城のシンボルと言える本丸多聞櫓が見えてきます。

三重県内で唯一の現存城郭建築物ですが、楽しみは取っておきます。

街全体がかつての伊勢亀山城の縄張りなので、これを徒歩で制覇しようかと・・・。

 

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結果からの話になりますが、今回、歩いた行程は上の画像の通り。(画像を左クリックすると拡大します。)

画像の下(南)からやってきて、時計回りに伊勢亀山城を巡って行きました。

 

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最初に西の丸の跡地で見学したのが、『亀山藩主石川家家老加藤家屋敷跡加藤家長屋門及び土蔵』でした(長いww)。

上の写真2つは家老の加藤家の長屋門です。内部には厩(うまや)とか土蔵がありました。

 

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残念ながら加藤家屋敷は復原修理工事を行っていました。

2月下旬の城めぐりには、こういう不運が付きまといます(泣)。

 

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ちなみに加藤家屋敷跡の南側にはクランク状の道路がありました。

城めぐりストのオレは「クランク状の道路は怪しい!!」と思い、見逃しませんでしたよ。

ここは伊勢亀山城の西の丸の南側に開いた青木門の跡地です。

ちなみに上のクランク状の道路の写真は南側から撮影したもの。

 

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後ほど、亀山市立歴史博物館にお邪魔して、所蔵の伊勢亀山城のジオラマをじっくりと見学したのですが、ちゃんと青木門と加藤家屋敷がありました。

画像の左下から道が続いていて、クランク状に曲がっていますね。

で、北側には長屋門がしっかりと立体化されています。

 

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おっと忘れちゃいけないのが、オレの城めぐりでのもう一つの使命? 城デザインのマンホール撮影です。

シンボルの本丸多聞櫓がデザインされています。

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第2次三重県城郭遠征 伊勢亀山城編 その1

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10時58分桑名駅発の快速みえ5号に乗るために桑名城跡からダッシュで桑名駅にギリギリ到着しました。

特急料金が不要なので「これはいい!」と思っていたのですが・・・。

 

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JR四日市駅で快速みえ号を途中下車しました。

当初、携帯電話で検索したルートだと・・・桑名駅⇒(JR関西本線)⇒河原田駅⇒(伊勢鉄道)⇒津駅⇒(JR紀勢本線)⇒亀山駅という、カタカナの「レ」を左右逆に書いたようなコースでした。

詳しくは⇒ http://www.rosenzu.com/rr/rr30.html を参考にしてください。

しかし・・・このコースだと第三セクター路線の伊勢鉄道を通るため、その分、料金が割高なのです。

 

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ちなみに↑が四日市駅始発の伊勢鉄道です。

鈴鹿駅を通過するので、これで神戸城に行っても良かったんだけどね・・・。

 

再度ネットで調べたところ、後続の関西本線を利用しても、当初の利用路線より到着が15分遅れる程度で運賃も安いため、四日市駅にて11:10から11:40までの30分間待つことになりました。

 

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さて、30分待つ間に早めの昼食でも摂るかな・・・と思ったのですが、四日市駅の構内に食事ができる店があるどころか、売店すら無いのです。

四日市名物のトンテキを食べるために改札の外に出るわけにもいかんし・・・。

こんなことなら桑名駅周辺で、はまぐり料理とかファストフードでも食べておけばよかったよ・・・。

 

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待つこと30分、関西本線・亀山駅行きが四日市駅に到着。

これを使えば、四日市駅から亀山駅まで一直線。(まあイメージで言えば、カタカナの「ノ」の字を描くように進むんだけど・・・)

これに乗って目指すは伊勢亀山城です。

 

三重県在住の人からすれば、「なんでこんな事で悩むの?」といったところでしょうが、オレの場合、実際に歩いてみて、電車に乗ってみて、地理や鉄道事情を勉強していくのです。

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第2次三重県城郭遠征 桑名城編 その2

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(その1から続く)

JR桑名駅から東へ750mほど歩くと、海蔵寺があります。

ここは木曽三川(揖斐川・長良川・木曽川)の治水のために命を落とした薩摩藩士が祀られています。

 

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海蔵寺から更に700mを歩くと南北に続く外堀の遺構を見学できます。

外堀は揖斐川に続いており、小型ボートが係留されていました。また石垣の上には民家が建ち並んでいました。

 

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南北を走る外堀を渡って更に東へ。

桑名城:現在の九華公園の南西側から攻城開始です。

写真は桑名城の三の丸掘を南西側から撮影したもの。言われなければ都市公園です。

 

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桑名城の南から二の丸に入り、更には赤い橋を渡って本丸へ進みます。

 

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赤い橋を渡ると桑名城本丸の南側に到着します。

すぐそこに巽櫓跡が残っています・・・とはいえ、かなり改変されていますが・・・。

桑名城天守が焼失した後、この巽櫓が天守代用の櫓だったようです。

しかし幕末の動乱にて桑名城が薩摩・長州連合に降伏し、落城のしるしとして巽櫓が壊されたとのことです。

ちなみに巽櫓跡の上には何故か大砲が設置されています。なんじゃ、こら?

 

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その巽櫓から西へ数mの位置に神戸櫓跡が残っています。

こちらも改変が著しく、神戸城の天守を移動して載せた神戸櫓を想像するのは難しいです。

 

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本丸から堀を渡って、外側から神戸櫓跡を見学。

石垣はもちろん現代の工法によるものですが、これだけ大きいのならば神戸城の天守(五重天守)が載っていても違和感はないかな。

 

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本丸を南西側から撮影したもの。

中央の建物(トイレ)の左側が神戸櫓跡。トイレの右側に続く木々の右端あたりが巽櫓跡です。

 

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本丸に戻って北東隅に進むと神社の裏手に桑名城天守跡が残っています。

しかしながら、この石垣もおそらく当時物ではないようです。

解説板もないのが寂しい・・・。

 

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桑名城本丸の北側の道路に面した場所に徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝の銅像があります。

背にしている槍は蜻蛉切り(とんぼきり)ですな。

関ヶ原の戦いの後、桑名の地を与えられた本多忠勝は慶長の町割りと言われる桑名の都市計画を行い、桑名を立派な城下町にしたそうだ。

 

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桑名城のもう一つの見どころ:幡龍櫓(ばんりゅうやぐら)です。

ホントは水門管理を目的とした鉄筋コンクリート造の建物です。

見た目には復元櫓です。こういうの歓迎します。

 

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幡龍櫓の名前の由来となった幡龍とは飛翔する前にうずくまる龍のこと。

その瓦が載っているからなのです。

 

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幡龍櫓の内部は9:30~15:00の間に無料で入ることができます。

ただし月曜日は除く(月曜日が祝日の場合は翌日)。

 

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幡龍櫓の目の前に広がる揖斐川。

写真中央右手には中州を挟んで長良川も流れているけど、写真では見づらいかな。

江戸時代、東海道五十三次で唯一の海路だったのが尾張国:宮宿と伊勢国:桑名宿の間だったそうだ。

ここの海路は舟で渡ることになっており、その距離が28キロ=七里だったため、七里の渡しと言ったそうだ。

 

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尾張国から舟で伊勢国に到着すると伊勢神宮の一の鳥居があったそうだ。

ここは伊勢国の入り口ということ。幡龍櫓はその人の出入りを監視するための櫓だったのかもしれませんね。

第2次三重県城郭遠征の旅のスタートにふさわしいです。

 

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今回の旅の経路。写真の左側が北になります。

矢印にはないけど、写真の下側(西)から1.5キロ歩いて来て、右折して外堀を見学しました。

写真の右下隅から桑名城の内堀に侵入して、矢印の通りに登城しました。

全部を見て回ったのでは無いのですが、必要最低限の見学スポットは押さえたと思います。

参考:JR桑名駅(8:30)⇒海蔵寺(8:40)⇒外堀見学(8:55)⇒桑名城内部(9:10)⇒幡龍櫓(10:00)⇒JR桑名駅(10:55)

駅と桑名城の間が1.5キロほどある為、往復に20分×2=40分かかるため、見学時間は100分程度かと。

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2014年2月26日 (水曜日)

第2次三重県城郭遠征 桑名城編 その1

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2014年2月22日に第2次三重県城郭遠征に行ってきました。

城めぐりは朝駆けが大事ですので、始発電車に乗り込んで、何とか乗り込める東京駅発のぞみ3号に乗車しました。

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今回乗車した、のぞみ3号は東海道新幹線のN700A系。

AはAdvanceの意味だったような・・・運行の遅れに対して新幹線が速度調整をしてくれるそうですよ。すげえな。

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新幹線から簡単に見つけられる城郭の一つ、静岡県掛川市にある掛川城です。

掛川駅からは見つけられないので、掛川駅に入る直前か、通過した直後に見つけられます。

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7時40分頃に名古屋駅に到着。美味しいと言われる名古屋駅構内のきしめん屋で、朝食として天むすときしめんを食します。500円だったかな。

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まさか、朝食をとった後で乗車できるとは思わなかった、JR南紀1号に飛び乗り、名古屋駅から桑名駅に向かいます。

今思えば普通電車か近鉄線でも良かったんだけど、まあ車体がカッコいいからええか。

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桑名駅の東口から徒歩1キロで最初の目的地の桑名城に向かいます。

15分程度歩くのですが、途中のマンホールやらタイルには桑名城や歴史的アイテムを彫刻したデザインがあって楽しいです。

記憶が正しければ、東海道53次で宮宿の次は川を渡って桑名宿でしたな。

宮宿から桑名宿まで28キロ=7里だったころから七里の渡しとか。

海を渡ると桑名城が目の前だったそうだ。

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桑名は、はまぐり料理でも有名だとか。

・・・食べられなかったけど。

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