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2014年1月 1日 (水曜日)

韮山城登城記 その6

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韮山城を見学した後は西方向の韮山駅を越えて向こうの守山へ向かいます。

韮山城は北条早雲ゆかりの城ですが、一方の守山周辺は鎌倉時代の執権:北条一族ゆかりの地でもあり、室町幕府の関東第2出張所(?)の堀越公方の御所のある地でもあるのです。

歴史的な見どころが多くて、行かないわけにはいきません。

 

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最初の見どころは北条政子の産湯の井戸です。

何と石垣の上に建つ一軒家の入り口にありました。

 

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北条政子の産湯の井戸は住宅地の中にポツンとあります。

北条政子とは言わずと知れた、源頼朝(=鎌倉幕府初代将軍)の妻で、頼朝亡きあとは尼将軍として幕府を仕切った女性です。

 

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オレが伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅でレンタルした自転車との比較写真。

10時から16時まで500円のレンタル自転車ですが、非常に重宝しました。

韮山反射炉、蛭が小島、江川邸、韮山城と守山周辺、自転車がなければ廻りきれません。

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北条政子の産湯の井戸の西側には堀越公方の御所の跡地があります。

堀越公方を説明する前に、鎌倉公方を説明せねばなりません。

室町幕府は京都に成立しましたが、武士の本場の関東を掌握するために、初代将軍:足利尊氏の子:足利基氏を鎌倉に派遣しました。
これが鎌倉公方(公方=将軍)で、その政治機構が鎌倉府なんですね。

しかし鎌倉公方は中央の室町幕府に逆らうようになり・・・6代将軍:足利義教に討たれます(1438年 永享の乱)。その後、結城合戦を経て、鎌倉府は茨城県の古河に移ります。これが古河公方ですな。

8代将軍:足利義政は反抗的な古河公方のかわりとして、弟の足利政知を関東に派遣しましたが、何と鎌倉に入ることはできず、伊豆の堀越に足止めされてしまいます。

それが堀越公方であり、その御所が堀越御所なのです。

 

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そんな歴史的な地なのですが、上の写真のとおり、堀越御所跡地は道路で真っ二つに分断されています。

またつい最近まで某エネルギー会社の保養地として利用されていました。

 

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堀越公方:足利政知には先妻の子:足利茶々丸がいましたが、後妻:円満院との間にも清晃(せいこう)と潤(うるう)がいたそうだ。

二男の清晃は跡継ぎになれないため、京都に向かい僧侶となったそうだが、堀越公方:足利政知は何を思ったか、三男の潤に跡継ぎにさせようとして、長男の茶々丸を座敷牢に閉じ込めたそうだ。

堀越公方:足利政知の死後、茶々丸は継母の円満院と弟の潤を殺害し、二代堀越公方を称したが、この内紛に乗じて足利茶々丸を倒して韮山城主になったのが、のちの北条早雲=伊勢新九郎なのだそうだ。

 

今回の城めぐりで気がついたのだが、伊勢氏出身の北条早雲が何故、「北条」を名乗ったのかが分かりました。
(ホントは息子の北条氏綱から北条を名乗ったらしい。)

韮山城周辺=守山は鎌倉幕府執権の北条氏ゆかりの地であるし、その北条氏を滅ぼした室町幕府の出張所:堀越公方の2代目は足利茶々丸という乱暴者・・・。

北条を名乗ることは地元の支持を得るための方策だったのかな・・・と。

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堀越御所の跡地には写真のような亀石をはじめとする巨石があります。

庭園があり、雅な雰囲気だったのですな。

 

 

その7に続く・・・。

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