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2014年1月の8件の記事

2014年1月 4日 (土曜日)

富士は日本一の山~♪

年末年始の青春18切符の日帰り旅行・全5回のうち、4回が富士山を眺める内容のものとなりました。(5回・・・土浦城、韮山城、甲府城、興国寺城、駿府城)

こんな短期間の間に富士山を様々な方向から眺めたのは初めてです。

 

過去の日本全国城めぐりで撮影した写真がどれくらいあるかな~とデータをひっくり返してみました。

 

手前味噌ですが綺麗な写真が多いため、写真データの圧縮を最小限にしました。

写真を左クリックすると拡大表示されますから、お楽しみください。

 

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まずは富士山の北側から。

いきなり城めぐりじゃないんだけど、2002年11月30日の職場旅行にて撮影した写真。場所は山梨県南都留郡富士河口湖町の河口湖。

温泉大浴場からでも見える、均整のとれた姿にうっとりです。

 

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同じく河口湖から夜のあかりとともに撮影した富士山。

これもなかなかの絵になりますね~。

 

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次は富士山の南西側から。

2009年1月10日、静岡県静岡市葵区の駿府城に隣接する静岡県庁の展望台から、夕陽を浴びた富士山です。

 

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懲りずに翌朝の2009年1月11日も同様の場所から富士山を撮影。

展望台は入場無料ですからね~何度でも機会があれば眺めることができます。

写真には映っていませんが、下には駿府城があります。

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拡大するとこんな感じ。やはり富士山を撮影するのは真冬の朝に限るw

ちなみに展望台の反対側には駿河の海が広がっております。

  

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次は富士山の北東側から撮影。

2010年1月1日、千葉県関宿市にある関宿城・模擬天守からの富士山。

冬の快晴ですが、距離がかなりあるため、ずいぶんと霞んでおります。

見えるかな??

 

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次は富士山の南東側から。

2012年12月29日、静岡県三島市にある山中城の岱崎曲輪(だいざきくるわ)から富士山を撮影。

山中城は箱根の山頂に近いだけあって、富士山と同じ目線で撮影できます。

 

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富士山の南南西側から撮影。

2013年12月21日、静岡県伊豆の国市の韮山反射炉の近くで撮影した富士山。

片方しか裾野が見えなくても、この曲線美!

 

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一週間後、2013年12月28日、山梨県甲府市の甲府城・天守台から。

富士山の北北西側からの撮影になります。

甲府盆地を囲む山々で富士山の裾が隠されていますが、その存在感は一級品!

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その更に2日後の2013年12月30日、ほぼ南に近い南南西側の興国寺城跡から富士山を撮影。

たった2日の間にまったく正反対の方向(山梨県甲府市と静岡県沼津市)から富士山を眺めてしまいました。

 

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更に数時間後の2013年12月30日の同日、JR御殿場線から富士山を撮影。

おそらく南西方向からの撮影かと。

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JR御殿場線の最後尾車両の窓から撮影しました。

御殿場線って単線だったんですね・・・。

 

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年が明けて、2014年1月2日、ほぼ南南西の方向から。

世界遺産となった三保の松原(静岡県静岡市清水区)での撮影。

いや~まるで銭湯の壁絵みたいw

 

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時間が2年程戻りまして、2011年7月21日。

東京・羽田空港から九州・宮崎空港に向かう飛行機の中から撮影した富士山。

この日は宮崎県内城めぐりで飛行機を利用したのですが、なんと台風が日本を直撃。

もう少し台風の来襲が遅かったら欠航となっていたところです。

雨雲の上から頭を突きだす富士山、流石です。

 

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更に時間が戻って2011年2月25日に高知空港に向かう飛行機の中から撮影した富士山。

高知県は暖かかったのですが、富士山は真っ白の雪化粧でした。

 

 

・・・ということで、富士山の写真の一部をブログにアップしました。

やはり富士山の美しさは日本人の心に響くものがあるんですね。

 

日本人で良かった・・・。

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2014年1月 3日 (金曜日)

韮山城登城記 その8

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最後の見学スポットに行きます。

円成寺跡=北条時政屋敷跡から東にちょっと戻って、願成就院(がんじょうじゅいん)に向かいました。

上の写真はかつて願成就院があった場所です。

  

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現在の願成就院はすぐ隣にあります。

願成就院は源頼朝が奥州征伐を行う際、北条時政が戦の勝利を願うために建てた寺院だそうです。

オレが寺院を訪れるのは珍しいことなのですが、今回、願成就院を訪問した理由があったのです。

 

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一つは第2代堀越公方:足利茶々丸の墓です。

願成就院に入って、ずーーっとまっすぐに進み、本堂?の前で向かって左に避けてから、ちょっと進むとあります。

北条早雲に討たれた足利茶々丸がここに眠っております。

 

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もう一つが鎌倉幕府:初代執権 北条時政の墓です。

こちらは願成就院に入ってからすぐに左に進み、左手を見るとございます。

盲点な位置にあるため、所在を探すのに苦労しました。

 

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楽しかった伊豆の国市の日帰り旅も終了です。

伊豆長岡駅にレンタサイクルを15時15分頃に返却。約5時間楽しんだんだな・・・。

15時40分頃に伊豆長岡駅発の伊豆箱根鉄道・三島駅行きに乗車・・・

更に三島駅からJR東海の東海道線・熱海駅行きに乗り換え・・・

最後に熱海駅からJR東日本の湘南新宿ラインに乗って、新宿駅に戻りました。

韮山城登城記、おしまい。

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駿府城 坤櫓の見学

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三保の松原を見学した後、JR清水駅からJR静岡駅まで移動しました。

 

駿府城の坤櫓(ひつじさるやぐら)が復元されたとの情報を得たからです。

坤櫓の意味は「坤の方向」=つまり南西の隅っこに建っていたから。
※干支から来ています。子(ね)を北にして時計回りに干支を配置すると未申の方向が南西になるはず。

 

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駿府城と言えば・・・これまた復元された巽櫓(たつみやぐら)と東御門と弥次・喜多コンビの銅像を必ずオレは見学しています。

そこから西に歩いていくと・・・

 

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現在も城内側には近づけませんが、2年前から復元作業していた坤櫓が完成していました。

う~~ん、白漆喰の壁がまぶしいw

 

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2012年8月に撮影した坤櫓の建設中の写真です。

  

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徳川系城郭の特徴の白漆喰の櫓は名古屋城の東南隅櫓や西南隅櫓、徳川大坂城の櫓のデザインに似ていますな。

鬼瓦の家紋はもちろん徳川家の三ツ葉葵でした。

 

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駿府城の見学はこれで5度目位なのですが、今まで見学していなかった場所も見てきました。

↑の写真は駿府城三の丸の南西隅にある櫓台です。

日本百名城スタンプラリーのガイドブックにも掲載されていた写真で、今までどこの櫓台だろうと思っていましたが、これで納得。

背後の白い建物は病院だった記憶が・・・。

 

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三の丸の西面を北に歩いていくと、積み方の違う石垣が・・・これだけデカイ城ですから分担して普請していったのでしょうね。

 

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この駿府城を築城させたのが、徳川家康公ですね。

 

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本丸跡地から北西を眺めると、二の丸の北西隅にドドーンと積まれた土砂が・・・。

パワーショベルとの比較からしても、かなりの土砂なのですが・・・なんだろうこれ?

ひょっとして駿府城の天守を復元してくれるのかしら?

そんなバカなww いくらかかるんだよ・・・駿府城天守って名古屋城天守より大きかったよな・・・。

でも、そういう良い意味でもバカな夢、応援しています。

 

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ちなみに駿府城天守って↑の様なものだったらしい。 

手前に小天守がドーンとあるのは名古屋城に似ているし、大天守の周囲を囲うように櫓が4つ建っています。ある意味、姫路城や和歌山城より凄い。

 

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見学終了後はちかくのお蕎麦店にて、駿河の名産:桜エビのかき揚げ丼を食べました。

サクサクして美味しかったなあ。

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三保の松原に行ってきました

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↑JR東海:東海道線から撮影した富士山(原駅~吉原駅あたりかな)

 

青春18切符の日帰り旅として、世界遺産となった三保の松原に行ってきました。

JR清水駅から静鉄バスを利用して(運賃360円)、三保の松原に近づくにつれて、観光客の乗用車で渋滞してきました。

1つ手前の三保の松原入口で下車し、駐車場待ちの乗用車を横目に、1キロほど歩いてきました。(松原スグの無料駐車場待ちの車がホントに数百メートル渋滞してました。)

 

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↑数百メートル続く神の道を抜けて、三保の松原に到着。

 

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↑南風が強く風紋が出来ていました。

 

あとは三保の松原の美しさに感動してシャッターを切るばかりです。

 

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見学後は近くの食事処で静岡おでんを食べました。

左から、ゴボウ巻き・黒はんぺん・大根・モツ・玉子です。

すでに麹味噌ダレがかかっており、その上から削り節&青海苔をかけました。

 

帰りも三保の松原から1キロほど歩いて、他路線バスが合流する片浜町バス停まで行きました。

1時間に数本しかバスが来ないタイムテーブルでしたが、運よく3分後にバスが到着し、JR清水駅に向かったのでした。

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2014年1月 2日 (木曜日)

韮山城登城記 その7

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守山周辺の見学を続けます。

堀越御所から西に徒歩数分の距離に円成寺跡があります。

1333年に鎌倉幕府と執権の北条氏が滅びると、残った北条一族の妻と娘は鎌倉から韮山に戻ってきたそうです。

9代執権の北条貞時の妻:円成尼が北条一族の菩提を弔うために、ここに寺を建てたそうです。

 

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円成寺の敷地は入れなかったので、守山の途中まで登ってみました。

この時点で昼下がりでしたので、レンタル自転車返却の16時ギリギリでした。

鎌倉・室町時代の武士の館に石垣を使っていたとは思えませんが、山道には石垣石に使えそうな岩盤がチラホラと見えていましたぞ。

 

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山道を登ると館に使えそうな広場と土塁もあった。確証はないけど・・・。

 

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そんなに高くない山なので、階段を登ってみた。

   

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階段を登りきると・・・・また階段があった。

登るべきかどうか躊躇したけど、ダッシュで登ってみました・・・。

更に山道が続いていたので、山頂までは行くのは諦めました。 

 

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山から下りてきて、円成寺敷地を撮影。

かつてこの辺りは鎌倉幕府初代執権:北条時政(北条政子の父であり、源頼朝の義父)の屋敷があったところらしい。

北条一族は伊豆の豪族と歴史の本によく書いていますが、なるほどなあ~と言った感じです。

 

 

その8へ続く・・・完結編の予定。

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2014年1月 1日 (水曜日)

カップヌードル ザク製作 その3

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元旦から一気に塗装してしまおうと頑張りました。

使った塗料は下記の通り・・・

ヒートホークの柄:GSIクレオスのパープル
ヒートホークの刃:GSIクレオスのクロームシルバー
ヒートホークのパイプ:GSIクレオスのニュートラルグレー
モノアイレール:GSIクレオスのフラットブラック
モノアイ:GSIクレオスのピンク
アポジモーター:GSIクレオスの黒鉄色

 

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単三電池(約5センチ)との比較・・・こんなに小さいプラモデルなのですね~。

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カップヌードル ザク製作 その2

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2013年12月31日は自宅でゆっくりしておりました。

そういうことで、1/380縮尺のザクのサーフェーイサー(グレー色の下地色)の吹き付けをしておりました。

これ、単三乾電池より小さいカップヌードルのオマケなので、ラクですね。

 

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簡単に塗装できましたので、次の塗装段階に進みました。

GSIクレオスのガンダムカラーのMS-06F用の塗料を吹き付けました。

薄いグリーンがCG024 グリーン4
濃いグリーンがCG023 グリーン3
グレーがCG025 グレー2

です。

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韮山城登城記 その6

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韮山城を見学した後は西方向の韮山駅を越えて向こうの守山へ向かいます。

韮山城は北条早雲ゆかりの城ですが、一方の守山周辺は鎌倉時代の執権:北条一族ゆかりの地でもあり、室町幕府の関東第2出張所(?)の堀越公方の御所のある地でもあるのです。

歴史的な見どころが多くて、行かないわけにはいきません。

 

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最初の見どころは北条政子の産湯の井戸です。

何と石垣の上に建つ一軒家の入り口にありました。

 

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北条政子の産湯の井戸は住宅地の中にポツンとあります。

北条政子とは言わずと知れた、源頼朝(=鎌倉幕府初代将軍)の妻で、頼朝亡きあとは尼将軍として幕府を仕切った女性です。

 

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オレが伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅でレンタルした自転車との比較写真。

10時から16時まで500円のレンタル自転車ですが、非常に重宝しました。

韮山反射炉、蛭が小島、江川邸、韮山城と守山周辺、自転車がなければ廻りきれません。

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北条政子の産湯の井戸の西側には堀越公方の御所の跡地があります。

堀越公方を説明する前に、鎌倉公方を説明せねばなりません。

室町幕府は京都に成立しましたが、武士の本場の関東を掌握するために、初代将軍:足利尊氏の子:足利基氏を鎌倉に派遣しました。
これが鎌倉公方(公方=将軍)で、その政治機構が鎌倉府なんですね。

しかし鎌倉公方は中央の室町幕府に逆らうようになり・・・6代将軍:足利義教に討たれます(1438年 永享の乱)。その後、結城合戦を経て、鎌倉府は茨城県の古河に移ります。これが古河公方ですな。

8代将軍:足利義政は反抗的な古河公方のかわりとして、弟の足利政知を関東に派遣しましたが、何と鎌倉に入ることはできず、伊豆の堀越に足止めされてしまいます。

それが堀越公方であり、その御所が堀越御所なのです。

 

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そんな歴史的な地なのですが、上の写真のとおり、堀越御所跡地は道路で真っ二つに分断されています。

またつい最近まで某エネルギー会社の保養地として利用されていました。

 

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堀越公方:足利政知には先妻の子:足利茶々丸がいましたが、後妻:円満院との間にも清晃(せいこう)と潤(うるう)がいたそうだ。

二男の清晃は跡継ぎになれないため、京都に向かい僧侶となったそうだが、堀越公方:足利政知は何を思ったか、三男の潤に跡継ぎにさせようとして、長男の茶々丸を座敷牢に閉じ込めたそうだ。

堀越公方:足利政知の死後、茶々丸は継母の円満院と弟の潤を殺害し、二代堀越公方を称したが、この内紛に乗じて足利茶々丸を倒して韮山城主になったのが、のちの北条早雲=伊勢新九郎なのだそうだ。

 

今回の城めぐりで気がついたのだが、伊勢氏出身の北条早雲が何故、「北条」を名乗ったのかが分かりました。
(ホントは息子の北条氏綱から北条を名乗ったらしい。)

韮山城周辺=守山は鎌倉幕府執権の北条氏ゆかりの地であるし、その北条氏を滅ぼした室町幕府の出張所:堀越公方の2代目は足利茶々丸という乱暴者・・・。

北条を名乗ることは地元の支持を得るための方策だったのかな・・・と。

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堀越御所の跡地には写真のような亀石をはじめとする巨石があります。

庭園があり、雅な雰囲気だったのですな。

 

 

その7に続く・・・。

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