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2013年12月22日 (日曜日)

韮山城登城記 その3

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蛭ケ小島から自転車で東に進みます。

写真の右手が韮山中学校、写真の左手が見えませんが【韮山城】、写真の奥が韮山城の詰の城となって天ケ岳です。

 

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韮山城と天ケ岳の間に設けられた切り通しを通って、韮山城の東に出ます。

ちょっと急な坂ですが、自転車でラクラクと越えて行けます。

切り通しと書きましたが、ここは韮山城の堀切です。人工的に掘っていったのですね。

 

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堀切を抜けると城池が見えてきます。

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写真の左に見える丘が韮山城。高さは50m無いんじゃないかな。

市民の方々が城池で釣りを楽しんでしましたが、戦国時代は水濠として利用していたんじゃないかな。

グルリと自転車で廻って写真の右手方向に進んでいきます。

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蛭ケ小島から自転車で10分もしないで、次の目的地:【江川邸】に向かいます。

写真の下から上に向かって進む、黄色の矢印が今回自転車で進んだ道のりになります。

江川邸に向かう前に【郷土史料館】に入ります。江川邸との共通券で400円でした。

郷土史料館での見物は韮山城の模型ですな。

 

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韮山城は東に城池を置き、西側には御屋敷を置く形態の城です。

龍城山と呼ばれる東西100m・南北400mの細長い山に、三の丸・権現曲輪・二の丸・本丸を並べた連郭式城郭です。

標高42m・比高31mなので、気軽に登れる城郭です。

 

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江川邸に入ります。

パンフレットによると江川氏は清和天皇から出た清和源氏:源満仲(みなもとみつなか)の二男:宇野頼親の子孫です。

1156年の保元の乱で、崇徳上皇側についた6代:宇野親治は戦いに敗れ、孫の宇野親信が13人の従者とともに伊豆の地に流れてきました。

1159年の平治の乱後に蛭ケ小島に流された源頼朝が1180年に平氏打倒の挙兵すると、宇野治信も参戦したそうです。

 

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鎌倉時代・室町時代と伊豆の豪族として発展し、韮山の地に流れる江川にちなんで、江川と苗字を変えました。

北条早雲が駿河興国寺城から韮山に進出すると、韮山城の地を提供し、後北条氏の家来となったそうです。

小田原征伐後は徳川家康に従い、韮山代官となって伊豆の地を治めていたそうです。

 

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主屋を見学します。

ガイドの話しによると、この家屋は地震に非常に強い構造で、400年の昔から一度たりとも地震で崩壊していないそうだ。

  

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また内部には塾の部屋があったのですが、そこに掲げられていたビッグネームに驚きました。

佐久間象山、久坂玄瑞、木戸孝允、黒田清隆、大山巌などなど、幕末の有名人が江川邸を訪れていたとか。

またジョン万次郎を通訳として用いたのも韮山反射炉を造った江川英龍公だそうだ。

  

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江川英龍公は兵糧としてのパン(乾パン)に注目。

自らパンを焼き、現在のパン業界ではパン祖としてあがめられているそうだ。

 

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また江川邸にあった井戸です。

元禄年間に江川邸では江川酒という日本酒を作っていたそうです。

それ以前にも北条早雲・徳川家康といった戦国大名が美酒であるとお墨付きを与えられたとか。

すごすぎる・・・。

写真はありませんが、江川邸周辺の竹を気にいった千利休は、その竹で花生けを作り、小田原城の西方・石垣山一夜城の茶室に掲げたそうです。

その4につづく・・・。

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コメント

すごく楽しみにして・・・・もちろん想っていた以上にすごく楽しませていだいております!

細かい説明を読ませていただきながら、きれいな写真を見ていると、行きたいという気持ちにかられますね。
私は、なかなか出かけらないのですが・・・Seiryuuさんのブログからちょいちょい^^いってみた。いってみるそ!!とか思わせていただています。

お天気に恵まれたよい登城でしたね~~~~~

伊豆なら…・行けそう!!!

投稿: もこ(玉莵) | 2013年12月23日 (月曜日) 00時49分

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