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2013年12月の15件の記事

2013年12月31日 (火曜日)

韮山城登城記 その5

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久々に韮山城登城日記を続けます。
毎回、プチ旅行をしているので、ブログ更新が追いつきません。

上の写真は韮山城の本丸への階段です。

 

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韮山城本丸はそれほど広くはありませんが、城域最高所にあるので景色はなかなかのものです。

遠くに富士山が見えますが、雲がかかっていますねえ。

 

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韮山城本丸から南側を望みます。

右手に見える山が韮山城の詰の城:天ケ岳です。

 

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本丸に設置してある説明板には韮山城周辺の地図があります。

韮山城自体は大きくないのですが、周辺には江川砦、天ケ岳砦、和田島砦、土手和田砦が囲んでおります。

 

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本丸から南に土塁が続きます。

 

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振り返るとこんな感じに蛇行しています。

写真の右側が土塁で、中央が土塁に沿って続く腰曲輪。

 

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南に続く土塁は右回りにぐるりと周って、曲輪を構成しています。
(写真中央の明るいところ。)

一説には火薬庫だったとのこと。

 

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ひととおり見学を終了して、韮山城から退去します。

写真は二の丸方面を東側から見上げたもの。
南北に細長い配置なので、それをぐるりと腰曲輪(写真の平坦なところ)が巡っています。

 

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韮山城を後にして韮山駅方面に向かいます。

韮山城を西側から眺めた写真です。

そんなに高くない城とわかるでしょう? 山城というより丘城だよね。

 

その6へ続く・・。

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2013年12月26日 (木曜日)

ソードストライクガンダムを作る その9

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久々の塗装と更新です。

アーマーシュナイダーは柄の部分をGSIクレオス14番:ネービーブルーで塗装。

刃の部分はGSIクレオス211番:クロームシルバーを塗装後、ティッシュペーパーで磨いています。

 

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ストライカーパックも基本塗装を済ませています。

薄いブルーはGSIクレオスのガンダムカラーUG14のMSライトブルー。

濃いブルーはGSIクレオスの110番のキャラクターブルー。

グレーはGSIクレオスの13番のニュートラルグレーを吹き付けています。

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天皇誕生日一般参賀(2013年) その3

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天皇誕生日で普段は見学できない皇居内を何度か見学してきたのですが、↑の写真は初めて見ました。

場所は富士見三重櫓から北へ続く石垣。この石垣に沿って進むと大手門方面に着きます。

昨年までは資材?置き場で見えませんでしたが、明らかに倉庫の裏あたりで石垣の積み方が異なっています。もちろん奥の方が新しい石垣なのでしょうな。

 

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その後、例年通りに桔梗門の裏側を見学します。毎年見学していますが石垣に刻まれた刻印です。

 

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写真左が桔梗門(櫓門)の石垣。写真右が桝形を構成する石垣。

 

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桔梗門(櫓門)をくぐってから、振り返って撮影しました。

 

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こちらは桔梗門(高麗門)です。この門をくぐると再入場はできません。

 

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先程の桔梗門(高麗門)のちょうど反対側の石垣のてっぺんには銃眼が彫り込まれていました。

当時はこの石垣の上に土塀が建っていたのでしょう。

ここの銃眼から鉄砲を突きだして、桔梗門(高麗門)を突破してくる攻城兵を狙い撃ちしていたんでしょうな。

 

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そういうことで? 桔梗門をくぐって天皇誕生日一般参賀は終了。

見学時間はざっと40分ほどかな。この写真を撮った後、第2回目のお出ましが終了したようで、参賀した人々がドドドーと出てきました。

 

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今年は残念ながら、富士見三重櫓(写真左)・桔梗門(写真中央)・桜田二重櫓(写真右)が並び立つベストショットの撮影が上手くいきませんでした。

通行止めじゃな・・・。

 

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最後に東京駅に戻って終了です。

おしまい。

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2013年12月23日 (月曜日)

天皇誕生日一般参賀(2013年) その2

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天皇陛下の御言葉を頂いたあと、退出までに富士見三重櫓を見学します。

 

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江戸城本丸の西側、石垣の上には富士見多聞櫓が建っています。

今回は乾門方面への退出は出来なかったので、ここからしか見学できませんな。

 

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で、富士見三重櫓の見学です。以下写真だけを掲載します。

 

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現存の富士見三重櫓だが、菊の紋が彫り込まれている・・・。

 

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流石、八方正面の櫓、どこから見ても美しい・・・。

 

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ここ数年の好みとして、妻側の富士見三重櫓もいいなあと思いますな。

 

 

その3へ続く・・。

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天皇誕生日一般参賀(2013年)

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2013年12月23日、天皇陛下80歳の誕生日を迎えられ、オレも毎年の恒例行事として一般参賀に行ってまいりました。

80歳の傘寿ということで、10時20分の第1回のお出ましも混雑するだろうと、早めに自宅を出たのです。

しかし、途中でコーヒータイムを入れたため、東京メトロ千代田線:二重橋駅に到着が10時過ぎ・・・ヤバイw

まあ何度も参賀しておりますので、必要最低限の荷物しか持参しておらず、手荷物チェック・危険物所持チェックもクリアw (しかし荷物のサイズはB4以下って、今回初めてだな・・・。)

 

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いつもの通り、皇居正門から入城します。

右手に鉄橋を見ながら、皇居正門入城後、右にヘアピンカーブをしながら進みます。

 

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滅多に見学できない伏見櫓を撮影します。

立ち止まっての撮影はいけませんと皇宮警察に言われますので、歩きながら撮影します。

 

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皇居内の石垣を見るたびに思うのですが、流石は江戸幕府将軍の城ですな。

石垣が切込接と思い切り加工されています。

その上、石垣石には、はつり仕上げがされております。気が遠くなりそうw

 

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で、10時10分頃に宮殿前に入場です。

お出ましは10時20分ですから、ギリギリセーフです。

 

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天皇陛下がお出ましになると、一斉に日の丸の旗がはためきます。

すごいなあ・・・。

 

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コンパクトデジカメでの望遠レンズで何とか撮影しましたが・・・皇室の方々です。

左から雅子さま、皇太子さま、天皇陛下、皇后陛下、秋篠宮さま、紀子さま、眞子さま ですなww

その2につづく・・・。

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韮山城登城記 その4

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いよいよ、今回の旅の主目的:【韮山城】への登城を開始します。

江川邸からちょっと戻って、城池を渡ってから登城します。

この写真で見える丘が韮山城本城のほぼ全てです。意外とラクに登城できます。

 

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城池の堤防を渡ってから、韮山城の三の丸(写真右)、権現曲輪(写真左)の間を登って入城します。

クネクネと曲がりながら登るのは、内部を見通せないようにするため。

セオリー通りの縄張り構成です。

 

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韮山城の北の端に三の丸がありますが、現在は韮山高校のテニスコートとなっています。

立派な土塁も残っています。

 

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登って来た方向とは逆(西側)には韮山高校があります。

かつては、この御屋敷曲輪で、政務を行なっていたんでしょうな。

 

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三の丸から南へ向かいます。

狭い通路になっているのは、大軍を簡単には通さない目的ですな。

 

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三の丸の南に位置する権現曲輪には神社が建っています。

神社の建っていた位置には櫓か物見台があったんじゃないかな。

 

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権現曲輪の広さはこんなものです。

杉の木が生えていて、ちょっと気分的にスッキリします。

 

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権現曲輪(写真左)と二の丸(写真右)の間に切られた、堀切の写真。

この堀切を通って下ると城池に戻ってしまいます。

二の丸の土塁の高さはなかなかのものです。

 

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二の丸の東側につながっている階段を上って行きます。

比高31m程度の丘である上、段階的に登っていくので、山登りといってもラクです。

 

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二の丸を南から北方向へ撮影したもの。三の丸の次くらいに広いんじゃないかな。

 

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二の丸から更に南に進み、本丸に向かいます。

写真の土塁の高まりのところが、本丸です。

 

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本丸へ向かう途中に北方向を望みます。

かつての御屋敷曲輪のあった韮山高校の敷地、向こうには雲がかかっていますが、富士山が望めます。

比高31mの城でも景色はなかなかのものです。

 

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韮山城から西を望むと、先程見学した源頼朝の配流の地:蛭ケ小島が見えます。
(写真中央の緑のあるところ)

その向こうに見える手前の山が次の見学目的地の守山です。

 

その5へ続く・・。

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2013年12月22日 (日曜日)

韮山城登城記 その3

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蛭ケ小島から自転車で東に進みます。

写真の右手が韮山中学校、写真の左手が見えませんが【韮山城】、写真の奥が韮山城の詰の城となって天ケ岳です。

 

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韮山城と天ケ岳の間に設けられた切り通しを通って、韮山城の東に出ます。

ちょっと急な坂ですが、自転車でラクラクと越えて行けます。

切り通しと書きましたが、ここは韮山城の堀切です。人工的に掘っていったのですね。

 

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堀切を抜けると城池が見えてきます。

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写真の左に見える丘が韮山城。高さは50m無いんじゃないかな。

市民の方々が城池で釣りを楽しんでしましたが、戦国時代は水濠として利用していたんじゃないかな。

グルリと自転車で廻って写真の右手方向に進んでいきます。

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蛭ケ小島から自転車で10分もしないで、次の目的地:【江川邸】に向かいます。

写真の下から上に向かって進む、黄色の矢印が今回自転車で進んだ道のりになります。

江川邸に向かう前に【郷土史料館】に入ります。江川邸との共通券で400円でした。

郷土史料館での見物は韮山城の模型ですな。

 

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韮山城は東に城池を置き、西側には御屋敷を置く形態の城です。

龍城山と呼ばれる東西100m・南北400mの細長い山に、三の丸・権現曲輪・二の丸・本丸を並べた連郭式城郭です。

標高42m・比高31mなので、気軽に登れる城郭です。

 

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江川邸に入ります。

パンフレットによると江川氏は清和天皇から出た清和源氏:源満仲(みなもとみつなか)の二男:宇野頼親の子孫です。

1156年の保元の乱で、崇徳上皇側についた6代:宇野親治は戦いに敗れ、孫の宇野親信が13人の従者とともに伊豆の地に流れてきました。

1159年の平治の乱後に蛭ケ小島に流された源頼朝が1180年に平氏打倒の挙兵すると、宇野治信も参戦したそうです。

 

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鎌倉時代・室町時代と伊豆の豪族として発展し、韮山の地に流れる江川にちなんで、江川と苗字を変えました。

北条早雲が駿河興国寺城から韮山に進出すると、韮山城の地を提供し、後北条氏の家来となったそうです。

小田原征伐後は徳川家康に従い、韮山代官となって伊豆の地を治めていたそうです。

 

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主屋を見学します。

ガイドの話しによると、この家屋は地震に非常に強い構造で、400年の昔から一度たりとも地震で崩壊していないそうだ。

  

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また内部には塾の部屋があったのですが、そこに掲げられていたビッグネームに驚きました。

佐久間象山、久坂玄瑞、木戸孝允、黒田清隆、大山巌などなど、幕末の有名人が江川邸を訪れていたとか。

またジョン万次郎を通訳として用いたのも韮山反射炉を造った江川英龍公だそうだ。

  

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江川英龍公は兵糧としてのパン(乾パン)に注目。

自らパンを焼き、現在のパン業界ではパン祖としてあがめられているそうだ。

 

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また江川邸にあった井戸です。

元禄年間に江川邸では江川酒という日本酒を作っていたそうです。

それ以前にも北条早雲・徳川家康といった戦国大名が美酒であるとお墨付きを与えられたとか。

すごすぎる・・・。

写真はありませんが、江川邸周辺の竹を気にいった千利休は、その竹で花生けを作り、小田原城の西方・石垣山一夜城の茶室に掲げたそうです。

その4につづく・・・。

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2013年12月21日 (土曜日)

韮山城登城記 その2

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韮山反射炉から北に自転車を進めます。

前方に富士山を望めるので、楽しいサイクリングです。

まあ・・・大型トラックが通過するのがコワイのですがww

で、自転車をこぐこと10分少々・・・

 

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到着したのが【蛭ケ小島】です。

1159年の平治の乱で、平清盛に敗れた源義朝は部下の長田忠致に殺されました。

義朝の嫡子の源頼朝(14歳)も平清盛に捕えられ、これまた殺されるところを、清盛の義母の池禅尼の嘆願で一命を助けられ、蛭ケ小島に流されたわけですな。

源平の戦いの物語で、子供の頃から聞かされた話です。

ここが蛭ケ小島か・・・と感慨にふけりました。

まあ・・・周りには川も湖もないのですが、当時は川洲に浮かぶ場所だったのでしょうかね。

 

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で、建っている銅像が・・・源頼朝(右:31歳)と北条政子(左21歳)です。

ちなみに・・・蛭ケ小島からまっすぐ西に向かうと伊豆箱根鉄道の韮山駅。

さらに西に向かうと北条時政の屋敷跡・・・・。

ちょいと歩くにはキツイ距離ですが、自転車なら(当時は馬かw)なんなく通える距離です。

 

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その2人が見つめる先は・・・富士山だったりする。

 

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蛭ケ小島の跡には無料休憩所があります。

お茶を御馳走してくれましたが、流石に悪いし、11時30分を廻っていたので昼食をとることにしました。

 

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山菜そば:500円でした。

蛭ケ小島の次の目的地を確認しつつ、腹ごしらえです。

 

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体が温まったところで、無料休憩所にあった写真と同じように撮影しようかなと思いましたが・・・富士山に雲がかかっていた(泣

その3に続く・・・。

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韮山城登城記 その1

冬の青春18切符による城めぐりの旅、第2弾は静岡県伊豆の国市の【韮山城】でした。

韮山城といえば・・・戦国大名第1号の北条早雲ゆかりの城です。

しかし・・・同じ静岡県の興国寺城とゴッチャとなっており、城郭検定ではそこを突かれて、ひどい目に遭いました(苦笑)

ならば、実地研修するしかあるまいと、まず韮山城への登城計画を決定。

ところが事前調査をしてみると・・・周辺には日本史を勉強した者からすると、面白い場所ばかり。

当初は韮山駅から徒歩で回ればいいかと思いましたが、隣の伊豆長岡駅にはレンタサイクルがあるとの情報を前日の夜にゲット。

レンタサイクルがあるだけで、行動範囲が一気に広がりますな。

ということで・・・東京から伊豆長岡に向かいます。

 

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まずはJR新宿駅から山手線に乗り、JR品川駅で東海道線に乗り換え、JR熱海駅に向かいます。

 

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JR熱海駅でJR東日本⇒JR東海に電車を乗り換えて、JR三島駅に向かいます。

 

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2012年12月末にも山中城登城のために三島駅に行った記憶が・・・。

今度は伊豆箱根鉄道の三島駅から伊豆長岡駅に向かいます。

 

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約30分足らずの乗車で伊豆長岡駅に到着。意外と近いということが分かりました。

駅にはコンビニも接続していて、結構便利です。

伊豆長岡駅ではレンタサイクルを10時~16時まで500円で貸し出しています。電動自転車でも、フツーのママチャリでも500円です。

とにかく、朝10時に韮山周辺の観光を順調にスタートすることが出来ました。

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伊豆長岡駅(西口)を出て、線路に沿って南進。その後、東に進路を変更して踏切を渡ります。

最初の目的地は【韮山反射炉】です。

最寄駅は伊豆長岡駅ですが、自転車で10分以上はかかる距離です。

北を眺めると、真冬の空に映える富士山が見えるではないですか!!

昨日の雨がウソのようです。さすがにオレは晴れ男だw

何度も自転車を停めては、デジカメのシャッターを切ります。

 

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最初の目的地の韮山反射炉に到着・・・って、入場料を徴収されるのか?

実は反射炉自体は外から見ることも出来るのですが、解説などは写真の建物に入ってみるしかありません。大人100円でした。

 

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江戸時代末期に韮山反射炉を造った、江戸幕府の韮山代官の江川英龍(えがわひでたつ)公の銅像です。

ここ韮山では英雄というべき扱いです。のちほど紹介いたします。

 

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そもそも、韮山反射炉という言葉は聞いたことがありますが、具体的に何なのか、何で反射するの?というレベルでした。

反射炉とは鉄を溶かすための装置で、炉内の天井がドーム状になっていることから、炎の熱が『反射』して、千数百度の温度で効率よく鉄を溶かすことができるものだそうです。

 

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では何故、千数百度の熱で鉄を溶かさねばならないのか?

↑の写真の様な鉄製の大砲を作らねばならんから。
※上の写真の24ポンド砲は現代に製造したレプリカだそうだ。

幕末の黒船来航後、江戸の防衛のために東京湾に6つの台場が築かれたのですが、その台場に設置する大砲を急いで作らねばならなかったようです。

先月・・・オレ、第三台場に行ったよ。砲台を見てきたよ・・・。

何と! お台場の大砲はメイド・イン・韮山反射炉だったのか。歴史のつながりで感動しました。

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ちなみに↑の大砲もあった。

飛距離を目的としたものではなく、高く撃ち上げて、防壁を越えて攻撃するための大砲だそうだ。

 

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韮山反射炉の高さはおよそ16mほど。お台場のガンダムよりちょっと小さい。

煙突の周囲に鉄骨が貼りめぐらされているが、これは崩壊を防ぐために補強したもので、当時はフツーの伊豆石の煉瓦のまんまだったそうだ。

しかし・・・なんで4本の煙突が角度を変えて建っているんだろう? とガイドのおじさんに聞いてみた。

 

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煙突に2方向を囲まれるように鋳台がある。

今でこそ↑の写真の様だが、当時は数メートルの穴が掘られていたという。

つまり大砲を鋳造する型(砂型)をこの鋳台に設置して、2方向から流れてくる溶けた鉄を砂型に流し込んでいたそうだ。

なるほど。2方向から流し込めば効率良く、鋳造出来ますな。

 

ちなみに写真は無いが反射炉の近くには小川が流れており、水車小屋があったという。

江戸末期の鋳造技術では、大砲を鋳造するといっても、穴の開いていない太い鉄の棒をまず鋳造したそうだ。

その鉄棒を水車小屋の隣に寝かして固定してから、大砲の穴をあけるために槍の穂先の様な刃でカリコリカリコリと彫っていたそうだ。

その槍の穂先の様な刃を回転させるために水車の力を利用したそうですよ。

もう・・・先人の努力に脱帽です。

入場料100円では安いくらいに幕末の勉強が出来ました。

その2へ続く・・・

 

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2013年12月18日 (水曜日)

再度土浦城へ登城 その3

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こちらは土浦城本丸の西端に建っている西櫓です。

東櫓より四方が1間(約1.8m)ずつ小さい櫓です。

老朽化とキティ台風で一度損壊。復元を前提に一度取り壊したとのこと。

 

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西櫓からすぐのところに土浦市立博物館があります。
東櫓の入場券(105円)の共用で入館出来ます。

やはり見るべきは2Fにある土浦城のジオラマです。

水濠に浮かぶ本丸部分を撮影してみました。現物は広い範囲を模型にしていますよ。

木橋に接続しているのが太鼓櫓門、本丸の右上隅に建っているのが東櫓、ちょっと光で見えないのが西櫓です。

 

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太鼓櫓門と向こうに見えるのは東櫓・・・のジオラマです。

大変良く出来ていますねえ。往時はこんな感じだったんだとイメージが湧きます。 

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こちらは東櫓と木橋に続く霞門のジオラマです。

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上の模型の写真の実物はこちら。

霞門に突入しようとする攻城兵を左側面から東櫓にこもる守城兵が上から攻撃できるようになっています。

さすがは本物のお城だ。良く出来ている。

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土浦城見学後、土浦駅に向かいます。その途中にてんぷら専門店の「ほたて」がありましたので、昼食として寄ってみました。

左側の蔵が崩壊しているやんか・・・。

 

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食べたのが「天ぷら定食」 たしか780円だったかな。

天ぷらは、れんこん、しその葉、ワカサギ3匹、ニンジンのかき揚げ、エビ、穴子でした。

土浦市はれんこんの生産量が日本一だそうですよ。

味噌汁は大きめに切った木綿豆腐と、魚のアラの味噌汁でした。

と・・・まあ、2回目の土浦城の見学で、リベンジを果たした・・・つもりでしたが、実は土浦城の近くに藩校の長屋門が残っているとの情報を見てしまった。

3回目の見学はあるのか??

おしまい。

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2013年12月17日 (火曜日)

再度土浦城へ登城 その2

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亀城公園に設置されている、かつての土浦城の縄張り図です。

南北に走る水戸街道を逆「く」の字に取り込んでいる縄張りです。

現在は本丸・二の丸の一部しか残っていません。

北への出口と南への出口が馬出し・ますがたとなっており、なんともまあ意地悪な出入り口となっています。もちろん現在は交通に支障があるため残っていません。

 

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太鼓門櫓をくぐりぬけて、本丸に入ります。

奥に西櫓が見えるかな? 楕円形の本丸ですが長径せいぜい50~100m位です。

 

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太鼓門櫓を下から見上げます。軒裏は漆喰を塗らない白木造。

最近、櫓や門の軒下を眺めるのがマイブーム。

まあ・・城郭のスカート裏のぞきw

 

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前回も掲載しましたが、太鼓門櫓の隣にある土塀には、大筒狭間があります。

ここから大砲をズドーンとしていたわけですね。

 

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ちょっと分かりにくいけど、土塀の裏から撮影した袴型の石落としです。

ちゃんと蝶番の付いたドア?みたいなのがあって開きます。

石落としと言っても、本当に石を落とすんじゃなくて、槍や鉄砲を突き出していたんですよ。

 

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大人105円で入場可能な東櫓に入ってみました。

内部は木造で復元されており、2階建です。

展示の資料もまずまずの物です。

 

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東櫓の外にでて、またまた軒裏を覗いてみます。

垂木を波型に白漆喰で塗り込めています。

 

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東櫓の北側に位置する霞門。薬医門形式の門です。

 

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本丸内部の北西側から霞門の裏側と東櫓の内側を撮影したもの。

 

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ちなみに霞門の外側はこんな感じ。

その3へ続く・・・。

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2013年12月16日 (月曜日)

再度土浦城へ登城

2009年12月下旬に土浦城に登城しましたが、公共機関が休みだったため、見学できなかった箇所がありました。

で、4年後の2013年12月にリベンジを果たそうと、冬の青春18切符の旅として、再度茨城県土浦市の土浦城に登城することになりました。

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利用した電車はJR新宿駅から山手線外回りで日暮里駅まで。

日暮里駅から常磐線快速で土浦駅までの気楽な旅です。

 

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JR土浦駅の西側(霞ヶ浦のある方の反対側)に下車して、更に国道126号を北西に約1キロほど歩いて土浦城に向かいます。

 

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土浦城に向かう途中、こういうタイルも見つけたりします。

デザインは土浦城に現存する太鼓櫓門です。

 

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徒歩15分程度で土浦城跡:亀城公園に到着します。

最初に出迎えてくれるのが本丸の東櫓です。

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振り返ると、かつての前川口門が移築されております。

 

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門をくぐって亀城公園の外側に出て、反対側を撮影すると前川口門はこんな感じ。

ちかくに水戸地方裁判所土浦支部があります。

 

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前川口門の外側に出て、スグの建物のドアにこういう落書き?があるんですけど・・・

何なんですかね? 2009年12月にも書かれていたんだけど。

 

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再び前川口門から亀城公園に戻り、二の丸跡を散策します。

前回は意識して見学しませんでしたが、二の丸の土塁が低いながらも残っています。

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上の写真の大理石製のベンチにはカメのオブジェがくっついています。

流石は亀城公園!!

ここにもあったなんて、前回は気がつかなかった。

 

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また二の丸を囲うように水濠も残っております。

写真の左側は土浦市立土浦小学校になります。

 

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二の丸の見学を終了し、次に本丸に突入します。

上の写真は太鼓櫓門、2階の櫓に時を告げる太鼓が置かれていたそうです。

小さいながらも関東地方で唯一現存する太鼓櫓門だそうです。

その2へ続く・・・。

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2013年12月10日 (火曜日)

ソードストライクガンダムを作る その8

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今日はソードストライクガンダムの水色の吹き付け塗装をしておりました。

寒い中でしたが、コツコツと頑張ることで発色するもんです。

で、写真にはありませんが、マスキングテープを貼って、次の塗装の準備です。

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2013年12月 8日 (日曜日)

カップヌードル ザク製作 その1

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息抜き程度ですが、数年前にカップヌードルのオマケ(いや、カップヌードルがオマケだったか?)の1/380縮尺の量産型ザク2を作っています。

ごらんの通り部品数が少ないので、サササと組み上げて塗装すれば完成しそうです。

本日現在、部品同士の接着、接合ラインの整形が終わっています。

あとは下地塗装をして塗装すれば終わりですね。

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2013年12月 1日 (日曜日)

200城目の登城 杉山城

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2008年から本格的に城めぐりを始めてから、2013年11月30日に200城目となる杉山城に登城してきました。

杉山城は埼玉県の嵐山町にあります。

東京都の池袋駅から東武東上線に乗って武蔵嵐山駅で下車、北西方面に徒歩30~40分で到着します。

途中にコンビニエンスストアもありますから、そこで食料や飲料を調達した方がよいですね。

登城口は上の地図の右下にある積善寺(しゃくぜんじ)を目指します。

オレ、間違えて民家のある地図の左下方面から崖を登ろうとしていたよ・・・。

 

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杉山城は中世城郭の土の城です。

南端から北端まで300メートルに満たない小じんまりした城です。

本郭を中心に北・東・南へ10あまりの郭を広げていますが、郭同士の連携がよくとれていて、攻城兵のつもりで登城してみると、常に2方向以上から狙われている心持ちになります。

流石は中世城郭の傑作、縄張りの教科書と異名をとるだけあります。

上の写真は角馬出から南三の郭につながる虎口です。

 

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南三の郭から角馬出を臨む。角馬出の左側には外郭が見えます。

動線がいちいち折れ曲がっているのがスゴイ。

常に二方向から狙われるわけです。

 

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西側に展開する井戸郭の更に西側に降りると帯曲輪があります。

写真の大きな岩は古井戸をふさいだものです。

杉山城の一つの必見ポイントです。

 

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更に北上してから南側を振り返ります。

写真の左手が本郭の北虎口周辺、それをグルリと帯状に土塁が巡っています。

この帯状の土塁を進むと井戸郭方面に戻ります。

切り株のあたりで土塁が途切れているのにも多分意味があるんだろうね。楽して井戸郭に行かせないよって。

 

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北二の郭の北端に盛り上がっている土塁から西方面を臨む。

写っていないけど、写真の左側が北二の郭の虎口で、そこからぐる~~~っと通路が続いています。

ホントに守るに易く、攻めるに難い城郭ですね。

 

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東側は意外となだらかな斜面で、あまり技巧的な縄張りは無い。

写真奥が本郭で、写真中央が東ニの郭、一番手前が東三の郭です。

 

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攻城兵の横から攻撃できるように曲輪の形を屏風折にするのが縄張りの基本。

手前が南二の郭、奥が南三の郭です。

空堀もそれなりに深く、土塁の斜面もかなりのものです。

さすがに200城目とした杉山城でした。

天守や櫓などはありませんが、コレが本来の戦闘兵器としての城郭なんですよね。

地味ながらも凝った造りに脱帽です。

これからもコツコツと登城していこうと思っています。

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