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2009年5月の8件の記事

2009年5月26日 (火曜日)

安土城を建設してみたいと思った

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 つい数ケ月前に、週刊・デアゴスティーニで『安土城を作る』という商品があったと思いました。⇒http://www.de-club.net/azc/

 オイラも欲しいなあと思っていたのですが、初刊は1000円未満でも、通常は1490円とかで、全110号で完結となるので、完成するには合計16万円以上となる計算になるわけです。

 ・・・流石にそんなお金はない。

 

 ということで、オイラの弟夫婦の家の近くの、リサイクルショップの店頭にあった、安土城のプラモデルを買ってきました。

 値札には300円とありました。安い!

 ホントに投げ売り状態で、買った時に店の店主が値札をバリッと勝手に剥がしてくれたので、箱に剥がれた後があります。(泣)

 

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 で、中身はこんなものです。

 組み上げるだけなら、1日もあればできそうです。

 そう、『組む』だけならね。

 昔、ガンプラを作りまくっていたオイラからしてみれば、『組む』だけでは満足しないのだ。

 

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 で、24日の日曜日の状態が、ここまでなのです。

 石垣部分と壁の部分は仮に接着をしているだけです。

 いつでも簡単に取り外せるようにするために、そうしています。

 

 にしても、この安土城のプラモデル、天守台の部分と庭の部分が水平に土台に密着していないので、偽装マンションの如く、カタカタと揺れるのです・・・(泣)

 もし織田信長が知ったら、『殺してしまえ、ホトトギス』ですから、建築主は殺されていることでしょう。

 

 

 『姫路城のプラモデルはどうなったか?』って?  そういうことを聞いてはいけません(笑)

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水戸城(Mito Castle)

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 2008年11月22日(土)、八王子城での山登りをした一週間後、オイラは茨城県にある水戸城に登城しました。

 ・・・て、もう1年前以上の話じゃん。

 何はともあれ、水戸と言えば、天下の副将軍の水戸黄門でしょう。

 あたりまえの様に、JR水戸駅北口に、黄門様と助さんと格さんの銅像がありました。

 

 JR水戸駅周辺は、水戸黄門こと徳川光圀、徳川斉昭、徳川頼房、徳川慶喜など、水戸藩にゆかりのある有名人の銅像がいたるところにあったのでした。

 何故かというか、やっぱりというか、ドラマ『水戸黄門』のテーマソング、『あゝ人生に涙あり』を『じ~んせい、ら~くありゃぁ、く~もあるさぁ~』と歌いながら水戸城に向かいます。(ボーカルはもちろん、演奏も効果音すらも自分で歌います。)

 

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 水戸城には、残念ながら(?)天守閣!とか櫓!とか土塀!はありません。

 数少ない遺構は、この写真の本丸の薬医門と後で紹介する堀ぐらいのものです。

 薬医門は県立水戸第一高等学校の中にあります。薬医門を見る範囲なら校内に入れます。

 オイラが登城したのは土曜日でしたので、学校関係者に怪しまれることなく(?)、じっくりと見学ができました。

 

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 水戸城そのものの遺構にはなりませんが、水戸藩の藩校の弘道館にも立ち寄りました。

 雰囲気としては城郭にある御殿といった感じのところでしたねえ。

 

 

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 で、弘道館につながっている至善堂も見学しました。

 写真の部屋は最後の将軍、徳川慶喜が将軍職を辞し、謹慎していた部屋だそうです。

 こういう有名人物がいた場所に自分も入れるというのが、歴史旅行の醍醐味の一つですね。

 

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 弘道館を出て、数分、梅林を歩いたのち、八卦堂を見学しました。

 この八角堂のそれぞれの壁には、あの大韓民国の国旗にもある、八卦(三本の横棒で構成されるアレ)が掲げられていました。

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 八卦堂を抜け、水戸城の三の丸の外に出ました。

 写真は三の丸の空堀です。

 かなり大きい空堀でした。

 水戸城の見学はここまで。ここから一度、水戸駅に向かいます。

 

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 オイラが登城した折、弘道館と茨城県立歴史館と偕楽園の3ケ所でスタンプラリーが実施中でした。

 3つスタンプを集めると水戸の名所の絵葉書がもらえるのでした。

 1日でコンプリートできるスタンプラリーだったので、ここは当然ゲットです。

 写真は茨城県立歴史館のイチョウ並木です。実は茨城県立歴史館には時間の都合上、入館せずにスタンプを押しただけなのですが、あまりにも綺麗なイチョウ並木でしたので、シャッターを切りました。(銀杏のニオイもキツかったですが・・・。)

 

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 で、最後は偕楽園に行きました。

 本来は好文亭の写真を乗っけるところですが、訪問した当時、ブルーシートが掛けられて、修復中でした。

 

 でも千波湖が見えて、紅葉も綺麗でした。

 さすがは日本三大庭園だけはあります。

 

 で、帰りにお土産の納豆でも買おうかと思いましたが、あの藁につつまれた納豆が700円というのは、さすがに高いなあと思いましたので、手ぶらで東京に帰ったのでした。

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2009年5月23日 (土曜日)

バラを見に行きました

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 今日はオイラの地元にある神代植物公園に家族と一緒に行ってきました。

 今の季節はバラがたくさん咲いていて、花にあまり興味がないオイラでも、『いっちょ、行ってみるか!』と思える程のナイスな植物園なのです。

 入場料は500円で、ライトアップもするので20時まで開いている模様。

 調布駅北口からバスで15分もあれば到着するところです。

 色にしても、形にしても、ホントにいろいろなバラがあるんだなあと思うと同時に、花の女王、バラの新種開発にかける人間の情熱に関心しました。

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八王子城(Hachiohji Castle)

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 長野城めぐり遠征から2週間後の2008年11月15日(土)、オイラの居住する東京都内にある八王子城に登城してきました。

 八王子城までのオイラのアクセスは・・・京王線高尾駅にて下車します。高尾駅北口からバスに乗り、15分位の霊園前バス停で下車。八王子城入口の交差点からテクテクと25分位あるいて、上の写真の八王子城入口に到着となります。オイラは歩くのは平気ですが、結構歩いた記憶があります。

 写真の八王子城管理棟に百名城スタンプラリーのスタンプ(赤:ゴム印)が置いてあります。余談ですが、ここのトイレが綺麗で助かりました。トイレットペーパーもたくさん置いてあって、安心して用が足せました(キタナイ話ですけど・・・)。

 

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 八王子城には城主の住まいだった『居館地区』と、いざという時に立てこもる『要害地区』の2つがあるようです。

 まずは『居館地区』を楽しみます。

 八王子城は山城ですので、居館といえども、山登りをしていくことになります。

 流石に整備されていて、ハイキング気分でしたけどね。

 

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 八王子城のメインといえば、御主殿に続く、曳橋でしょう。

 思っていたより大きかったです。昔からこういう形だったかどうかはわからないとのことです。

 オイラが登城した時には新しくなっていましたが、それでもこの迫力にはデジカメのシャッターを何回も切ってしまいます。

 

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 御主殿から見た、曳橋です。

 本来は橋の右にある柵の所に橋が懸っていたのではないでしょうか?

 

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 曳橋を渡り、御主殿に向かいます。

 八王子城は戦国時代の関東の雄、北条氏の4代目、北条氏政の弟、北条氏照の本拠であり、織田信長の安土城を参考に石造りで建てたとのことです。

 確かに東日本は土塁による城が多いので、石垣の山城というのは珍しいですね。

 写真の冠木門をくぐり、御主殿後に行きますが、現在は何も残っておらず広い敷地があるだけです。

 

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 御主殿の下には、御主殿の滝があります。

 1590年の豊臣秀吉による小田原征伐のうちの一つの戦いとして、前田利家・上杉景勝らの軍勢が、八王子城を攻めたとあります。

 前田・上杉ら連合軍、1万5千に対し、八王子城に籠る北条軍は農民・婦女子を含めて1000人であり、多勢に無勢、1日で全滅したとの事。

 この御主殿の滝の上で自刃をし、身を投げた人が後を絶たなかったそうです。

 ここは心霊スポットとしては有名なところとか・・・。

 写真のとおり、滝・・・という大きさではありませんでした。チョロチョロと水が流れている程度でした。

 とにかく無念にも亡くなった方々の御冥福を祈るばかりです。

 

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 『居館地区』を楽しんだ後は、『要害地区』に向かいました。

 八王子城は、『お城を楽しむ』というより、『山登り』と考えた方が良いです。

 オイラの周りには、しっかりと装備した山男たちが、『昨日はイノシシが出たってなあ』とか『オレは熊にあったぞ』と喋っていたので、単なるジーパンだけの格好のオイラはかなりビビリました。

 しかも写真の『マムシに注意!』の表示はイノシシ、熊以上にビビります。会津若松城ではヘビが目の前にドサッと落ちてきたり、二本松城ではツチノコ(というより尾の切れたヘビだと思うのだが、頭でっかちのくせにオイラの人差し指のサイズしかなかった)に出会ったりした経験があるので、この表示には恐怖します。

 11月15日という秋の登城なので、マムシは活動していないと思うのですが、この表示、八王子医療センターの市外局番が無いのです!

 オイラは八王子の市外局番を知らないので、たとえ携帯電話がつながったとしても、この表示ではアウトです。表示の書き換えをぜひお願いしたいです。(ネットで調べたところ、『042』が市外局番だそうです。)

 それより、マムシに噛まれて連絡したとして、間に合うのかなあ。

 

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 『要害地区』をひたすら登山します。

 八王子城本丸は手元の資料によれば標高446メートルだそうです。御主殿が標高200メートル余りなので、実際は200メートル登山になるのですが・・・。

 オイラが金子曲輪で自分で握ってきたオニギリを食べていたら、なんと! スーツ姿の初老の紳士がカバンを片手に登ってくるではありませんか!

 この方は愛知県は豊橋市の動物のお医者さんだそうで、今回、東京への出張のついでに八王子城の登城に来たそうです。

 登城が御趣味で、姫路城は6回登城していて、犬山城は自宅の近くで通勤?通学で何度も見たとのこと。

 とにかく、登るのが速い速い!革靴を履いて、重たそうなカバンを持っているのになぜ?

 ちなみに、この方とは頂上の本丸ではぐれてしまい、『要害地区』へ下山した時に再会したのですが、高尾駅からJR線で豊橋の方へ帰って行かれました。

 

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 で、『要害地区』の9合目あたりかな、急に眺めが良くなります。

 残念ながら曇っていたので見栄えはソコソコなのですが、『東京にも、こういうところがあったのね』とホッとする景色でした。

 山城は一般的に天守閣は無いし、遺構も一般的に無いのですが、この眺めがあるから山城の登城はやめられないです。

 

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 ・・・で、本丸に着いたのですが、写真の『ほこら』だけでした。

 いや、ホントに本丸というにはあまりにも狭い敷地でした。

 

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 どの位、狭いかというと、こんな感じです。まあ、オイラの部屋よりは広いか・・・。

 単なる物見台の役目だったのかなあとも感じますが、ご覧のとおり視界は遮られていますし・・・。

 

 

 ともかく、百名城の22城目を無事に登城することができました。

 現在・・・40城目なので、あと18城のレポートを書かなくてはならないのですか・・・、なんだか仕事しているみたい。

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2009年5月21日 (木曜日)

表札がない・・・

 ここ2ケ月、オイラのメインの仕事は債権の取り立てのための自宅訪問です。

 

 電話も手紙でも相手と連絡が取れないとなると、訪問通知書を片手に自宅に伺うことになっている。

 

 相手も日中は仕事で留守だから、相手と会うことは稀で、『オイラが取り立てに来たよ』と足跡を残すのが最大の目的になるのだけど・・・。

 

 何が困るって、表札がないこと。

 他人の名前が掲げているのなら、『ああ、引っ越したのね』と推測できるのだけど、表札がないのはツライ。

 一軒家なら、ほぼ表札を掲げているのだけど、アパートとかマンションとなると、すべての部屋を訪ねる訳にはいかないから、あきらめざるを得ない。

 

 隣の人が、なんて名前か分からないなんて、都会ならではだよねえ。

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2009年5月13日 (水曜日)

松本城(Matsumoto Castle) その2

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 2008年11月の長野遠征最後の登城先は国宝4天守の一つ、松本城でした。

 写真は松本城が一番綺麗に撮影することの出来るアングルの一つです。

 少々、頭でっかちに見えるのは、天守閣最上階の周囲は当初、外欄の廊下だったのですが、寒さを防ぐために板張りになったから、とのことです。

 左から乾小天守天守閣辰巳付櫓、そして一番右にかろうじて写っているのが月見櫓です。

 

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 松本城本丸の内部からの写真。

 先程の写真と比べて男性的なのがお気に入りです。

 右から乾小天守天守閣辰巳付櫓月見櫓です。

 月見櫓だけ月見の宴をも催すだけあって、開放的な造りです。

 逆に天守閣以下の櫓群は下見板張りの黒壁で武骨な造りです。

 

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 松本城の内部に入ります。

 現存の天守閣なので当然、木造建築です。

 かつての松本城は湿地帯にあり、地下に埋められていた柱がに腐ったため、天守閣が『く』の字に折れ曲がっていたのは有名な話。

 

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 松本城のもう一つの綺麗なアングルです。

 赤い橋がオシャレです。

 

 松本城は五層天守で大きいのですが、他には黒門太鼓門くらいしか遺構がなく、すべてを見学するのに時間も体力もあまり使わなくて良い城郭です。

 

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 で、遺構の一つの太鼓門です。門の左側見える大きな石が玄蕃石です。

 思えば長野遠征に向かう朝、たまたまニュースで、11月3日の文化の日は松本城太鼓門の無料開放をしているとの話を聞き、長野遠征のコースを変えた記憶があります。

 

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 で、その太鼓門の中。

 木造建築による推定復元ですが・・・微妙な気持ちでした。

 もっと展示物が見たかったです。

 まあ多くの推定復元には多額な金がかかっているので感謝です。

 

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 オイラが登城した11月3日の文化の日は『お城まつり』が開催されていました。

 歴代の松本城主の鎧姿に扮した来賓の方々とその他大勢のエキストラの方々が太鼓の力強い音の中、整列していました。

 

 こういう雰囲気のお祭りなら歓迎です。

 

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 こちらが黒門です。

 オイラは可能な限り、他の観光客が写らないように人気が無くなってからシャッターを押すのですが、『お城まつり』では仕方がないです。

 

 

 と、まあ10時から13時間の3時間をかけての松本城の登城でした。

 残念ながら曇りでアルプスを背景にした松本城は見学できなかったですが、結構充実した登城でした。

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2009年5月10日 (日曜日)

稲城市に行きました

 今回は写真ナシで日記を書きます。

 

 昨日、業者さんとの打ち合わせで、私の居住地の隣町の『稲城市』に電車にて行ってきました。

 

 京王線稲城駅に到着して感じたこと・・・

 『稲城、変わったじゃん!!』

 

 今から23年前、とある都立高校の学生だったオイラの友達グループの中で、『稲城市』イコール『田舎』という偏見(?)があったのです。

 

 オイラの高校の学区域は・・・東京都下の『三鷹市』、『府中市』、『調布市』、『狛江市』、『稲城市』の5つでした(・・・多分ね)。

 稲城市以外出身の生徒たちは、『稲城市は水洗トイレが100%普及していない』とか、『田舎の香りがする』とか、『稲城市に行くには、パスポートが必要だ』とか、『稲城市は東京都じゃない』とか、稲城市在住の生徒たちに対する侮辱の言葉を浴びせていた日々だったのです(・・・もちろん、からかいの範疇でしたけど)。

 

 

 それから20年以上・・・

 『オイラの調布市・・・稲城市に抜かれたかも・・・』

 

 稲城駅前はオシャレになり、車道は道幅が広く、カッコイイマンションが立ち並び、それなのに都市計画により、電信柱は立っていなくて、緑が多く落ち着くところ・・・。

 

 数年前から稲城市にマンションを買って住む人が多いいなあとは思っていましたが、心の隅では『なぜ、そんな田舎に・・・』と失礼なことを思っていたのも事実です。

 

 しかし、昨日の稲城市訪問で私の認識は変わりました。

 稲城市は都市と自然がマッチした素晴らしい街になりました。

 流石に稲城市役所が『稲城市は日本一住みよい街』と垂れ幕を掲げるわけです。

 

 ・・・ということです。

 あっ! 私の居住地がバレてしまいました。命の危険が・・・(←そのネタ、いつまで続ける気?)

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2009年5月 8日 (金曜日)

岡山遠征に行ってきました!

 今年のゴールデンウィークは相方さんと岡山県へ遠征に行ってきました。

 もちろん、オイラの日本百名城スタンプラリーのスタンプゲットのための遠征であります。

 

 何故、相方さんが岡山県に一緒に来たのかというと・・・

 『岡山は相方さんの青春時代に住んでいた場所だった』

 からです。

 

 なんと言っても、鬼ノ城は相方さんが小学校時代に遠足で行った場所だし・・・。

 岡山城の近くの病院で、相方さんは働いていたようだし・・・。

 福山城の近くのスーパー銭湯に、相方さんはよく通っていたようだし・・・。

 備中松山城のある、高梁市に相方さんの友人が住んでいて、遊びに行っていたようだし・・・。

 

 すごい・・・相方さんを案内人にしなさいと、天の声が聞こえていました。

 相方さんの旅費については、オイラの『百名城登城資金』から出資するから、危険なゴールド運転免許(笑)の私の代わりにレンタカーを運転するという条件で、相方さんと一緒に岡山遠征に出発した訳です。

 

 相方さんは学生時代の友人や勤務先の同僚と会うということで、鬼ノ城と備中高松城を除いて、私の単独行動が可能となり、相方さんに気を遣わずに城郭のスミからスミまで見学&撮影できました。

 

 で、ゴールデンウィーク明けの今日、岡山遠征の結果報告なんですが・・・。

 

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 岡山城・・・後楽園の外、旭川に沿って歩いて行くごとに印象がガラリと変わる天守閣が素晴らしい。また外側と内側でこれまた表情の変わる月見櫓もGW期間中、入場できました。葉桜が月見櫓を隠してしまったのが残念でしたが、良かったです。もちろん日本三大庭園の後楽園にも入場しました。

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 福山城・・・福山城の天守閣や櫓のベストショットを撮影するために、新幹線の福山駅への入場券(140円)を購入するのは必須。東京&大阪方面ホームの端から端まで歩いて、福山城のベストショットを撮りまくりました。新幹線の駅から近いし、狭い敷地内で天守閣と3つの櫓と櫓門が見られる体力と時間に優しい城郭でした。

 

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 鬼ノ城・・・古代の城で天守閣がないから、ツマラナイと言うなかれ。屏風折の高石垣が圧巻。また鬼城山から眺める総社市の景色に都会人のオイラは癒されました。公共交通機関が無きに等しいので、相方さんに車で連れて行ってもらいました。
 それと・・・画僧・雪舟修行の寺、井山宝福寺と備中国分寺にも行ってきました。

 

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 備中松山城・・・現存12天守の一つ。平成15年に解体修理された天守閣と五、六の平櫓も良かったけど、奥にある二重櫓が古いままでイイ味を出していました。岩盤上の高石垣が圧巻でした、ハイ。高梁市内の各名所訪問にレンタサイクルは便利ですが、備中松山城へ自転車で行くのはムリです!(私は途中からずっと押して行きました・・・泣)

 

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 備中高松城・・・本能寺の変のあった頃、羽柴秀吉は備中高松城を水攻めに・・・と子供の頃から聞かされてきた、ある意味有名な城ですが、現在は『兵どもが夢の跡』・・・現在は菖蒲の花が綺麗に咲いている公園になっていました。JR吉備線から500mの所にありました。

 

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 津山城・・・この城の魅力は『石垣』に尽きる。ここも葉桜で石垣が隠れてしまったのが残念でした・・・冬に登城すべきかな? しかも複雑な縄張りですべての石垣をみるのに結構時間がかかりました。7億円弱をかけて再建した備中櫓も迫力があり、内部は畳敷きの部屋で癒されました。この城郭のすべての建物が残っていたら・・・姫路城と並んで世界遺産になっていたのかもしれないと思いました。

 

 ・・・とまあ、今でも興奮さめやらぬ状態です。

 

 そうそう、すでに岡山遠征(5月1日~5日)の費用が出ています。

 

 総額:143,590円
  内訳
   飲食費:14,991円
   交際費:15,030円
   交通費:87,619円
   宿泊費:19,550円
   設備費:   250円
   入場料: 3,000円
   役務費: 3,150円

 

 ・・・昨年の明石・姫路・赤穂・広島・岩国遠征では、私1人で9万円弱でしたので、今回の2人で14万円はマズマズの結果なのかもしれません。

 宿泊先が相方さんの希望で、スーパー銭湯(1泊1人:3100円・朝食込み)だったというのが、宿泊費の削減に役立っています。これは相方さんに感謝です。

 一方で岡山行きは夜行高速バス(片道1人:9000円強)、東京帰りは新幹線(片道1人:15,500円強)なのに、交通費が9万円弱になったのは、レンタカー代が響いています。しかし岡山県総社市を観光するにはレンタカー必須だったので仕方ないかなあ・・・。

 とにかく1人あたり7万円で、6つの城を巡ったので、『1城あたり1万円の原則』は正しいのかも・・・。

 

 それにしても・・・城郭の入場料、総額3,000円は安いですよね。

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